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「麒麟がくる」終わる [テレビ全般]

 今日も完全休養日。次週は木曜日に祝日が入るので、気分的にもに少し余裕がありそう。
 例によって午前中はテレビ漬け。アニメ「はたらく細胞」、「はたらく細胞BRACK」、「バックアロー」「ホリミヤ」などなどバラエティーに富んでいて楽しいけれど、「仮面ライダーセイバー」、「キラメイジャー」まで見たらかなり疲れる。昼食後、少しばかりスマホで遊び、午睡。夕刻起きてきてスマホで新聞のサイトをまわって社説の読み比べをする。
 ネットに接続できている間にパソコンであれこれと作業しているけれど、夕食で中断。食後、再度パソコンに向かうけれど、ネットからは切断されていて、これは深夜まで待つしかないと断念し、録画したばかりの大河ドラマ「麒麟がくる」を見る。もうネット上の各所で結末もばらされているので、ネタバレも含めて感想を書いておく。
 〈以下、「麒麟がくる」最終回のラストシーンについても書いてますので、ご注意ください〉
 私の妻は色が派手すぎて目がちかちかするというて途中で見るのをやめた。私は年末年始にまとめて見たりしたけれど、とりあえず今年も全話通して見ました。
 これまでの大河ドラマの戦国ものと違うのは合戦シーンがあまりないということ。これは新型コロナウィルス禍のため、密を避けるために合戦シーンを削らねばならなんだという事情もあるらしい。
 斎藤道三を成り上がり者として描いてへん。いわゆる「マムシ」の嫌らしさよりも、地方の一大名としてどうやったかという視点で描いていたのが新鮮。
 織田信長は大人になり切れへんだだっ子として描いており、だだっ子に「天下」という餌を示したのが光秀ということになっている。よって、「本能寺の変」はその責任を自分の手でとるというのが光秀の主たる動機になっている。
 板東玉三郎演じる天皇の存在感の大きさはこれまでになかったもの。天下を大局から見ているのが天皇であるという視点は、これまでの戦国大河にはなかったんやなかろうか。まあそやからこれほどまでの大物を起用したんやろうけれど。
 架空の人物たち(望月東庵、駒、伊呂波太夫)が天皇、将軍、関白、各大名といった偉い人のところに出没し過ぎ。医師と助手、旅芸人と、確かに偉い人のところに出入りできる立場ではあるけれど、ほとんど対等に話をしたりしているのには違和感が最後まであった。そうあちこちに光秀を出没させられへんので、こうした人物群を創造したんやろうけれど、あまりにも不自然。まあ、神出鬼没の「江」ほどひどくはないようにはしてあったけれど。
 秀吉がとことん腹黒い陰謀家として描かれていたのは正義の人たる光秀との対比のためか。最終回に黒田官兵衛役で、「軍師官兵衛」で黒田家の重臣を演じた濱田岳を起用したのはちょっとした遊び心、かな。
 家康は信長に翻弄される悲劇の人で、光秀の最大の理解者というのも面白い解釈。でもそれやと過酷な伊賀越えはなんやったんやと思えるけれど、そこらあたりはちらりと描いただけでスルーしてた。
 本能寺の変で信長の自刃シーンを描かなかったことも異色。火の中で息絶えている信長だけを見せるというのはちょっとショッキングやったかも。
 光秀の最期を描かず、本能寺の変の3年後に駒が光秀らしい人物を市で見かけて探す、というのはなかなか含みのあるラストでよかったけれど、そのあとで馬に乗って走る光秀のカットを入れたのは蛇足。これでは生きていることになってしまう。どうせなら特撮で麒麟にまたがった光秀を月に向けて飛ばす、なんてラストの方が座りがよかった。
 個人的にはどこかで漫才コンビ「麒麟」をモブでええから出して、視聴者から「麒麟がきてるやないか!」と突っ込ませるとかいうのもありかと思うたけれど、そこまで悪ノリはしませんでしたね。もっっとも、コロナ禍でストックがなくなり「麒麟がくるまでお待ちください」というタイトルで放送していた特番では「麒麟」の川島明をMCに起用したりしてたから、それが限界かな。
 というわけで、トータルしてみたらまあ面白い方やったと思う。でも、視聴率では低かった「平清盛」の方が見応えがあった。総じて使い勝手の良い架空の人物が活躍する話というのは私の中では評価が低くなるけどね。

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