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辻村寿三郎の死 [追悼]

 今日は出勤日。朝から小雨。昼にはあがったけれど、比較的温暖な上に湿度が高く、全体にだるかった。お山の学校では1年生と2年生の期末考査が始まっていて、私は今日は試験監督が一コマ。そのたった一コマがしんどかったなあ。
 もっとも、昨年の今ごろは新型コロナウィルス感染症の自宅隔離期間が終わったくらいで、あの時のしんどさとは比べようもない。なにしろあの時は立っているだけで辛かった。もっと休めば良かったと後で後悔したくらい。
 試験監督終了後は事務作業。そろそろ奨学金関係の書類の整理もし始めなあかんのやけれど、そこまで手がまわらず。
 定時に退出。校舎の外に出たら、えらい寒かった。風も吹きおろしはじめてるし、また寒波が来るという予告みたいな感じかな。
 帰宅してからはしばらく寝床にどぶさってた。夕食後も寝床でスマホをいじったりなんかしていたし、とにかく動くのがおっくうです。
 人形作家辻村寿三郎さんの訃報 に接する。享年89。死因は心不全。
 辻村さんというたら、私らの世代にとってはNHK人形劇「新八犬伝」と「真田十勇士」に尽きる。特に「新八犬伝」の第1話で「玉梓が怨霊」の登場してきた時の衝撃たるや、今でも脳裏に焼き付いている。
 「新八犬伝」の前は「ネコジャラ市の11人」やった。「ひょっこりひょうたん島」にスラップスティックとナンセンスの味付けをした人形劇で、人形は口をパカパカ開けたり、手足に操りの棒が見えていたりしたもので、文楽人形もそうやけれど、お肌はつるつるで顔は左右対称。
 ところが辻村ジュサブロー(当時)さんの人形は肌にちりめんじわがあり、顔も左右が微妙にずれたりしている。特に瞳は寄り目になっていたり離れていたり。ところが、それがなんともいえん味になっていた。
 また、同じ人形を改造して別な人物に流用するなど、なかなか大胆なこともしてはった。例えばさもしい浪人網干左母二郎と怪盗ウンタマノギルーとか。中にはこれ、人間の顔かというくらいデフォルメしたものもあった。例えば弥々山蟇六なんて化けもんみたいな顔をしていた。
 衣装は豪華絢爛。子どもは手抜きをすぐに見破る。全ての人形に魂がこめられていた。私はノートによく「新八犬伝」の登場人物を落書きしていたものです。
 この前再放送していた「平家物語」の川本喜八郎さんの人形も精巧で贅沢な作りやったし、そこまで人形劇に贅を尽くせるのはやはりNHKにしかでけんことですよねえ。
 子ども時代にこういう本物を毎日見ていたわけやから、私らの世代はほんまに文化的に恵まれていたしか言いようがない。
 子どもたちに本物を見せ続けてくれた。それが大事なんやということをわかってはったんやね。そのおかげで「子どもだまし」にはそう簡単にだまされんようになったもんなあ。感謝の一語しかない。
 謹んで哀悼の意を表します。

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目黒考二の死 [追悼]

 今朝も厳寒。さすがにバスは動いていたけれど、お山の学校まで行ったら積もった雪が残り、霜柱が立っていた。
 1時間目の授業が終わった後は、試験問題作成。しかし遅々として進まず。昨日の疲労が取れていないのか、頭が働かん。3分の1程度作ったところで会議。その後も少しばかり問題作成を進める。完成にはいたらず、明日からの休みの間の宿題とせねばなるまい。
 もっとも、月曜日中にこしらえたらええから、手つかずとなったとしてもなんとかなろう。
 定時に退出。
 妻が日帰り帰省していたので、だらだらとスマホをいじりながら待つ。妻が帰宅してから夕食。二人とも疲れていたのか食後もむやみに饒舌になる。どうでもええ会話を延々と続けてしまう時は、たいていどちらかが疲れている時なんやけれど、今日はどちらも疲れていることを自覚していて、適当なところで話を打ち切る。
 食後、寝床で社説のダウンロードをし始めたけれど、そのまま寝落ち。目覚めてから作業の続きをし、パソコンに向かう。こんな調子では宿題は無理みたい。
 本の雑誌の創始者で、書評家北上次郎としても活躍していた目黒考二さんの訃報に接する。享年76。死因は肺癌。
 薄っぺらいミニコミ誌やけれど、なんか面白そうな「本の雑誌」に出会うたのは高校生の時。京都は一乗寺の恵文社書店やった。今でこそおしゃれな外観で文化の発信地として全国に知られるようになった書店やけれど、当時は店長さんの趣味全開の漫画とサブカルチャーの巣窟みたいなところやった。後に大学時代、所属していた創作同人の会誌を置いてもらうことにもなる。そんな書店で平積みになっていて、しかも他の書店では見たこともない。ぱらぱらと立ち読みすると、私が当時あこがれていた「遊ぶ大人」たちが集まっているような雑誌やった。
 昼飯代を節約し、初めて買うたのは創刊15号くらいやったか。椎名誠さんの2冊目の著書、「気分はだぼだぼソース」の広告が載っていた。つまり椎名さんもまた一部の人たちから注目されていたけれど、まだまだマイナーな存在やったころということになる。発行人は目黒考二という人。まさか書評を書いている北上次郎という人と同一人物やということは知る由もない。
 以来、目黒さんや椎名さんが一線を引いたあとも買い、読み続けている。転居を重ね、手近に「本の雑誌」を置いている店がないので、現在は定期購読。できたら書店で購入したいんやけれど、こればかりは仕方ない。「三角窓口」に「支出における書籍代の割合のことを目黒係数と呼んではどうか」という投稿が載った時は狂喜したものです。「本好きの女友達と話していて……」と書いたけれど、その人は今は約30年いっしょに暮らす妻です。
 目黒さんが一線を引いた後、編集部の松村さんから電話があり、原稿依頼とわかった時も嬉しかったなあ。大好きなSF雑誌に「SFワールド」「SFアドベンチャー」「SFマガジン」「SFJapan」に自分の文章が掲載され、そして「本の雑誌」からも原稿依頼がきた。零細ものかきとしては果報者やと思うてます。
 残念ながら目黒さんにお目にかかることはないままに訃報を聞くことになったけれど、「本の雑誌」のおかげで私の読書の稼動域はとても広くなった。生意気な頭でっかちの高校生が、気がつけば還暦。その間、ずっと「本の雑誌」は私の読書の指針となってきたように思う。私という人間の血肉の一部として、大きな存在であることには違いない。そんな雑誌を作ってくださった目黒さんに心から感謝したい。
 謹んで哀悼の意を表します。

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ショートカット法要 [追悼]

 今日は従姉の告別式。仕事は休んで妻といっしょに京都の葬儀会場に。
 告別式が終わると、間をおかずに初七日法要という段取りに驚く。本来であれば初七日はお骨になってから一週間以内に行うもので、現在では告別式の後、親族がいっしょに斎場に行き、お骨を皆で拾うてから葬儀会場に戻り、そこで初七日の法要という段取りになっているんやけれど、斎場に行く前に初七日まで済ませてしまうというショートカット。
 おそらくコロナ禍で葬儀やもいろいろと考えた末に密の状態を長く続かせんように短時間で効率よく運ぶことにしたんやろう。ただ、別れの儀式として、親族にはお骨になって帰ってくるのを見届けるという手順を踏まんと、気持ちに区切りがつかんように思う。たとえ手間がかかってもそうした手順を踏む必要があるということでこの形におさまったんやろう。まあ、早く帰宅できるのはありがたいけれど、斎場に行く、または帰ってくるのを待つという「間」がないというのはなんか落ち着かんもんです。
 妻と昼食を会場近くのファミレスでとり、そのまま帰阪。
 帰宅後、着替えて午睡。目覚めたらもう午後6時をまわっていた。昨日の通夜、そして今日の告別式と、2往復したんやから、疲れもたまったんやろうな。土曜には月例の京都の医者行きがあるから、今週は京都まで3回行くことになる。
 それにしても、3歳しか違わん従姉をこんなに早く見送ることになるというのも辛いものです。そして、妹の喪主をつとめなければならん従姉の気持ちを考えると、ほんまにたまらん。自分にも妹がいるから、そういうことになったとしたら、なんて考えられん。
 とにもかくにも、従姉に哀悼の意を評してきた2日間が終わった。定休日の関係などもあり、初出勤は来週の水曜日。そしてその日はいきなり一時間目に授業がある。ほんまは今日出勤してその準備をする予定やったけれど、こんなに間が空いてしもうて大丈夫かしらん。

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新年早々の通夜 [追悼]

 今日は本来なら仕事はじめの日なんやけれど、もともと年休をとっていた。予定では明日初出勤をし、次の出勤は来週の水曜日になるので、そのための準備にあてるはずやったけれど、昨日の日記に書いたように、従姉の告別式があるので休むことにした。これが忌引きになるのかどうかわからんので、職場に電話して問い合わせる。教頭も休みをとっていたので、それは来週出勤した時に問い合わせることになった。忌引きでも年休でも、とにかくお休みです。
 というわけで、午前中は録画したドラマやアニメを見てから、昼食後、午睡はせずに出かける支度。三が日明けてすぐ喪服というのは辛い。阪急の特急に乗って上洛。早めに式場に到着した。
 亡くなった従姉は私より3歳だけ上。享年63。死因は肝臓癌とのこと。昨年の春ごろから闘病生活を送っていたそうで、余命宣告を受けてから、入院しながらも自ら遺影を選んだりしていたという。死というものをきちんと受け止めてはったようで、私にそんなことができるかどうか。心残りばかり多く、じたばたしているかもしれんなあ。
 コロナ禍が少しは落ち着いてきたとはいえ、まだまだ感染者は増えている。そんな中での葬儀。親族と親しい友人だけが参列し、通夜の読経などが終わった後、酒や寿司などを用意してくれはったけれど、大半の方は帰宅していった。私は夕食をとりたかったので、遠慮せずに残って寿司を食べ、ビールを少々いただく。残った親族で故人を偲んだりして、8時ごろには辞去する。
 帰路、阪急の車中でいろんなことを考えるけれど、酔いも手伝ってまとまらず。帰宅した時にはかなり疲れていて、着替えるとすぐに横になり、そのまま寝落ち。それでもこうやって起きて日記を書いている。結局こうやって何か書くことでしか気持ちを晴らすことはでけんのであるなあ。

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白木みのるの死 [追悼]

 大相撲小言場所「令和四年九州場所展望~波乱の一年、6人目の優勝者は出るか~」 を更新しました。


 今日は月例の京都の医者行き。ここ2日に録画した深夜アニメをほとんど見てしまい、昼前に家を出る。
 お医者に行こうと駅まで出かけたら、財布を忘れて愉快なテツジさん。
 何が愉快なもんですか。あの長寿アニメの主題歌がいらっとくるのは失敗した人を笑い物にしているからやねんな。というわけで、駅からまた忘れた財布を取りに家に戻る。今日は最高気温27.0℃と夏のような暑さ。秋の格好で歩き回ったもんやからもう汗だく。上着など着ていかなんだらよかった。
 阪急の特急で上洛。観光客が多く、特急はずっと立ちっ放し。自宅と駅までの間を一往復よけいにした上に揺れてる電車で踏ん張ったりしていて京都に着いた時にはかなり消耗していた。暑さで体力を奪われたということもあるかもしれん。
 薬を処方してもらい、調剤薬局で薬を買う。まだ先発薬が手に入りにくくジェネリックで代用。微妙に効き目が違うのですね。
 帰路は特急はなんとか座れたけれど、私のまわりの席はハングルをしゃべる旅行客ばかり。ニュースではそろそろ第8波が来ているとのこと。そろそろ4回目のワクチンを打った方がええんかな。そやけど鼻の調子がまだよくならんのにワクチンなんて打ったらまた発熱して後遺症がきつくなるんやないかと心配になる。今日医師にそこらへんのことを聞いてみたけれど、こと後遺症に関しては断定できるほど症例が確定してへんから、なんとも言われんのやね。聞くだけ総理も新型コロナウィルスに感染して、後遺症で鼻声やと週刊文春の広告に書いてあった。私と同じような感じなんかな。
 帰宅後、昨日の朝に移動しものをもとの位置に戻したりしてから、読書や今週の「舞いあがれ!」のまとめ見など。外出していた妻が帰宅して夕食。今日は結婚記念日。しんどかったのでケーキを買うたりするのを失念していたかわりに、用意していた贈り物を渡す。
 夕食後、少しスマホをいじっていたらうとうとしてしもうた。よほど疲れてたんやなあ。
 コメディアン白木みのるさんの訃報 に接する。実は2年前に亡くなっていたというから、享年86。死因は非公開。
 白木さんの絶頂期は私は幼すぎて記憶にない。「てなもんや」はリアルタイムでは「てなもんや二刀流」あたりをちょろっと見たくらいかなあ。あまり面白くなかったとみえてほとんど記憶にない。
 とはいえ、前任校で「なにわ研究」という科目を担当していた時には澤田隆治さんが録画しておいたという奇跡的に残っていたビデオを商品化したものがあったので、それを選択した生徒には見せていた。そやから前任校に勤務している間は毎年前期後期と必ずみていたわけで、確かに子役にしては達者すぎる演技力ではあった。子役やないんやから当たり前。どこかで成長が止まってしもうたと思われる。芸能人として一世を風靡し、マンション経営などで芸能活動を減らしたあとは悠々自適の生活を送っていたというから、全盛期の人気は相当すごかったんやろうと思う。
 確かに残されたビデオで見た白木さんの演技力と、藤田まことさんとの軽妙な掛け合いと間は絶妙なものがあった。こういう個性は現在ではなかなか表に出されへんのやろうと思う。つまらん正義感を振りかざす人とかいてるからね。
 謹んで哀悼の意を表します。

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酒井くにおの死 [追悼]

 今日は土曜出勤の代休。朝から先週同様土曜日の分もアニメなどを見たりする。その後例によってパソコンに向かい、ものかき関係の作業。あと一歩でとりあえず完了というところまでこぎつける。残りはこの日記をアップしてからする予定。
 昼食後、読書と午睡。気温差が激しいためか鼻の調子はますますよろしくない。いつになったら鼻ポンプを安心してつけて寝られることやら。
 今日も妻は外出。起床後、録画がたまっている番組を少しだけ見る。それから読書など。
 妻が帰宅して夕食を取り、またしばらく読書。スマホはいかんなあ。ちょっといじっていたらあっという間に時間がたつ。読書の時間を自分で削っているんやから世話はない。このあとものかき関係の作業を完了させる予定。
 漫才師酒井くにおさんの訃報 に接する。享年74。死因は慢性虚血性心疾患。漫才では弟の酒井とおるさんが病弱キャラで笑いを取っていたけれど、実はお兄さんの方が病気で苦しんていたんやね。
 今でこそ松竹芸能の漫才の大ベテランとしてトリを取るポジションにいてるけれど、売れるまでにはかなり時間がかかったコンビやった。というのも、東北出身で、東京漫才を経て大阪に腰を据えるという異色の経歴で、テレビで初めて見た時はこのコンビだけはかなり異質なものを感じた。一時はくにおさんが女言葉を使うたりといろいろと苦労していたけれど、「何言ってんの、とおるちゃん!」「とおるちゃん!」のかけあいや、くにおさんがぼけると、とおるさんはつっこまず観客席に向けて「ここで笑わんとあと笑うところないよ」とやるパターンがはまって売れた。このつっこまずに観客に投げるというパターンは難しいのか、くにおとおる以外では全盛期のWヤングが「ちょっと聞いたぁ?」とやっていたのくらいしか記憶にない。まさに舞台で磨いた芸。
 東京漫才出身者がビジターである大阪に根を下ろして息の長いコンビとなったというのもあまり例がない。今は逆に大阪から東京へ進出というのが当たり前なだけに、よけいに目立つ。そう言えば、ゼロサム先生が大阪府知事に当選した時にくにおさんを真似て「とおるちゃん!」とこの日記で使うたら、コメント欄がどえらいことになったなあ。
 今後、東京で初舞台を踏んで大阪に進出してくるコンビというのが出てくるかどうかわからんけれど、上方漫才史に残る異色のコンビとして記憶しておきたい。
 謹んで哀悼の意を表します。

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津原泰水の死 [追悼]

 朝はもう少しで寝坊しそうになる。急に冷えこんだのと、仕事が一段落してほっとしたのとが体調に影響しているみたいやね。それでも定休日を含めてしばらくお山の学校には出勤しない上に、週明けにはいきなり授業が始まるので、今日は出勤しとかんとえらいことになる。
 というわけで出勤。体育館の入り口で小一時間ほど風を背中に受けながら立ち番するというような仕事もあり(私が副担任をしている学年でバレーボール大会をしていて、生徒が勝手に出て行かんように見張っていたのです)、ますますダメージが大きくなった。
 それでも午後はずっと来週からの授業準備。映像の授業も後期になりメンバーチェンジするので、前期の反省を生かして見せる映画の組み合わせを少し変えてみるとか、いろいろとやることは多い。それでもなんとか定時には退出できそうやったけれど、生徒が進路指導室に飛びこんできてキャーバタバタキャーバタバタと急ぎの用事ができて30分ほど残業。
 帰宅後、すぐに寝床にどぶさる。夕食後、読書し始めたけれどまたまたまた寝落ち。まあ、明日からしばらくはお休みやから、しっかり体を休めて週明けの授業に備えましょう。
 作家、津原泰水さんの訃報に接する。享年58。病死、とだけ発表されていた。
 津原さんとは一度だけ直接話をした程度。それも一対一やなく、なにかのイベントでお会いした、というぐらいでほとんど交流はなかったけれど、その一度だけでも結構強烈なキャラクターの方という印象が残っている。体は弱そうで、特に目がかなり悪かったんやないか。それやからこそ自分を防御するのにちょっと攻撃的な人間であるというイメージを与えようとしてはったのかなあと思う。というのは、幻冬舎を相手にした「ヒッキーヒッキーシェイク」事件で、社長の見城氏とやりあったのが、私にとっては一番印象に残っているから。あの時にこの日記でもちょっとふれたのでここではもう書かんけれど、作家としてできる抵抗をやり抜いた人やったと今も思う。あれで、品切れ絶版の文庫が何冊か再刊されたので、まとめて買うたけれど、まだちゃんと読んでへんのですね。いずれまとめて読むことにしよう。「ヒッキーヒッキーシェイク」は読んだけれどね。ご本人のキャラクターほど強烈なものやなかったという感じはしたな。
 とはいえ、同世代の人が亡くなると、やはり精神的にはダメージが大きいな。津原さんも独自の世界を持った作品の書き手で、他にかえがたい作家やったと思うから、よけいにね、もったいないなあと思うわけです。
 謹んで哀悼の意を表します。

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二代目若乃花幹士の死 [追悼]

 今日は海の日。ハッピーマンデーのために月曜日に移動しているから、私は定休日とあわせて5連休。
 昨日の疲れもあってか、一日だるい。朝は例によってアニメを見たりして過ごす。昼食後、パソコンに向かい、それから午睡。一度5時半ごろに目覚めて起きようとしたんやけれど、二度寝。8時ごろ、こんなに寝てたんでは相撲と野球で大変やと起きてきたら、タイガースの試合は中止。広島は、九州北部から瀬戸内海にかけての雨雲の真下にあり、とても野球どころやないようです。
 というわけで、相撲中継の録画を、もと白鵬の間垣親方の解説でたっぷりゆったり観戦。放駒部屋、鳴戸部屋の力士が新型コロナウィルス感染症の親方や力士が出たため全員今日から休場。昨日は出羽海部屋の力士全員が休場。御嶽海はカド番で大関陥落必至という感じやったけれど、コロナ措置で来場所も番付は据え置きと助かった感じやけれど、一山本は2敗で優勝争いに加わっていただけに気の毒やな。相撲はなんと正代が5勝目をあげて、カド番脱出の可能性が高くなってきた。3日目までの相撲と別人みたいになっている。なんでも間垣親方のアドバイスがあったとのことやけれど、そのアドバイスというのは「四股を踏んで汗をかけ」やそうで、天下の大関がそんな初歩的なアドバイスで立ち直るとか、なんか信じられんなあ。もっと心の持ちようとか技術的なアドバイスとかそんなものやないかと期待してたんやけれどね。照ノ富士をはじめとする2敗グループがトップ集団やけれど、3敗グループにもまだまだチャンスあり、と見る。
 間垣親方といえば、五六代横綱、二代目若乃花幹士の下山勝則さんの訃報 に接する。死因は肺癌。享年69。これで「花のニッパチ五人衆」で御存命なのは大錦さんだけになった。昭和28年生まれの生きのいい若手が五人そろったので、そう呼ばれてたのですね。当時のしこ名で北の湖、若三杉、麒麟児、大錦、金城でした。
 若三杉時代の下山さんはほんまに華があった。右上手をつかみ、弧を描くような上手投げは非常に美しかった。将来は北の湖のライバルとして時代を作ると期待されていた。ただ、横綱に昇進し、師匠のしこ名をそのまま引き継ぎ、また師匠の娘婿となったあたりから精彩を欠くようになったのは残念。ほんまは結婚したい人は別にあったのに、師匠の期待が大きすぎて後継者に祭り上げられたのが却ってようなかったのか。
 優勝4回は期待されていたほどの成績をあげられなんだことを示している。結局師匠のお嬢さんとは別れ、もともと結婚したかった相手と再婚し、間垣部屋を創設して師匠のもとから独立した。それでも理事をつとめて春場所担当として長らく重責を担ってはったし、五城楼、若ノ城など幕内力士を育成したんやからたいしたものです。
 若三杉時代にサイン会でサインをもろうたこともあったなあ。春場所、観客が不入りで難渋していた時、体育館の喫煙コーナーに一人ポツンと立って、外の雨を眺めてはった姿は忘れられん。結局体調を崩して部屋を閉鎖し、若三藤や駿馬といった弟子を伊勢ヶ浜部屋に譲って退職しはった。若三杉時代の華やかさを思うと、寂しい去り方やった。
 でもね、ほんまに若三杉時代は一番輝いていたよ。かっこよかったよ。師匠の二子山親方ならずとも期待しないわけがないくらいやったよ、ほんま。
 謹んで哀悼の意を表します。

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安倍晋三の死 [追悼]

 今日は定休日。例によって朝からアニメを見たりパソコンに向かうたりする。
 昼食時にテレビのニュースをつけたら、しんぞう元総理が奈良で狙撃され心肺停止の報。犯人は元海上自衛隊に所属していたとのこと。銃は自作のものらしいこと。それくらいしかわからん段階やったので、食後すぐにテレビは切る。
 昼食後は午睡。よほど疲れていたのか爆睡。妻が新型コロナウィルス感染症の3度目のワクチン接種に行ったんやけれど、出かける時も帰ってきた時も気がつかなんだくらい。ナイターの始まる時間やったんで、ラジオをつけながらスマホで社説のダウンロードをはじめたら、新聞のサイトのトップ記事で安倍晋三元総理の死去 を知る。そのために各局が特別番組を編成しているというのもわかった。なんたること。そしたらカンテレで予定されていたナイター中継も中止か? HDDレコーダの番組表を妻に確認してもろうたら、やっぱりナイター中継はぶっ飛んでました。今日からの3連戦、唯一CS以外でのテレビ中継のある試合やったのになあ。
 それにしても、因果応報というのはこういうことをいうのかもしれん。しんぞう総理は森友問題で公文書偽造を「忖度」させ、その結果実直な公務員である赤城さんという方が悪事の片棒を担いだ良心の呵責に耐えかねて自死してはる。直接自分が手を下したわけでも命令したわけでもないけれど、その権力によって人が一人死んでいる。しんぞう総理が森友問題でちゃんとした釈明をしていたら、死なんですんだ人がいてる。新型コロナウィルス感染症の第一波のおり、学校の一斉休校やとかアベノマスク配布やとかとんちんかんな施策をし、根本的な医療への予算をまわさなんだことにより、亡くならずにすんだ人がなくなったり、せっかく入学した学校を退学せざるをえんようになった人たちもいてる。そういうようなことをした人には、それ相応の報いがあるんやと。
 そやからというて、銃で撃ち殺したりするのはもってのほかやけれど。
 これ、ニュースでテロというているのを見たりしたけれど、別に政府を転覆させようとかいう意図があるわけでもないみたいやし、背後にそういう組織があるようでもないみたいなんで、テロという言葉には違和感があるなあ。精神的平衡を欠いた人物による単発の犯行やないかと思う。そういうのもマスコミ的にはテロというのか。
 ナイターはスワローズを青柳投手が完封。打線も泥臭く点を取っていって完勝。スワローズって弱いなあ。最下位に落ちるんと違うか、というような試合やった。ABCラジオの解説はスワローズ一筋の若松勉さん。試合が進むにつれ口調が不機嫌になるのが手に取るようにわかった。音声だけの情報というのは逆にそういう感情を隠すものがないだけにはっきりとわかる。
 さて、今夜の深夜アニメはどれくらいぶっ飛んでしまうのか。そこが心配です。

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藤子不二雄Aの死 [追悼]

 朝は寝ぼけていたのか時計の数字を読み間違えていつもより30分近く早く起床。まあ、録画した深夜アニメを1本多く見られたんやからよしとしよう。
 今日も1日中パソコンの前でお仕事。今日は主として教材作成。週明けの水曜日にはもう最初の授業が始まるんやからね。
 午後からの会議が長く、定時より30分近く残ってから退出。スマホにきたタイガースのメルマガを見たら、今日の試合は中止やて。ええ天気やのになんでと、公式ホームページを見たら、ベイスターズの選手にコロナ陽性者が複数出て、感染拡大防止のために中止になったんやそうな。私はコロナ感染の後遺症でしんどい思いをしているので、感染した選手(伊藤将投手の完封勝利を止めたにっくき牧選手も!)には後遺症がきつく出ないことを願う。こういう場合、相撲やと片方の事情で取組が成立しない場合は土俵に上がれる力士の不戦勝になるけれど、野球にはそんな規定がないのが残念。不戦勝でええから白星がほしい状況やからねえ。
 帰宅後、寝床でどぶさっていたら、すぐに夕食。食後、うたた寝。甲子園に行った翌日から仕事やったから、疲れてたんやね。明日は定休日。やはり週3日にしておいて正解やったかな。
 漫画家藤子不二雄Aさんの訃報に接する。享年88。
 私の子ども時代は、手塚治虫先生をはじめとする「トキワ荘グループ」の漫画によって育てられたとこれはもう確信している。手塚先生はもちろんのこと、石森章太郎さん、赤塚不二夫さん、つのだじろうさん、そして藤子不二雄さん(当時は二人で一人の藤子不二雄さんやったのです)。藤子Aさんの漫画でいうと、「フータくんのパズルで毎日遊んだりしていたし、「怪物くん」は藤子Fさんの「モジャ公」などとは違う作風で、どちらの藤子さんが好きとか比べる気もしなかった。

 「魔太郎がくる!!」も好きやったなあ。私もいじめられる側の子やったから、魔太郎があの手この手でいじめっ子に復讐するのにカタルシスを感じていた。
 それ以上に好きやったのは「まんが道」かな。満賀道雄と才野茂が手塚先生に合うてから本格的に漫画家を目指す自伝的漫画で、「トキワ荘グループ」の漫画家たちが生き生きと描かれていた。
 他には「少年時代」あたりも忘れ難い。私は全1巻の「ワイド版」で持っていて、一時は何度も読み返していた。戦時中の少年たちの葛藤をノスタルジアやなく生々しいタッチで描いた傑作やった。
 漫画以外では「ふたりで少年漫画ばかり描いてきた」という自伝かな。「まんが道」と合わせて読むと、当時の漫画家たちの様子が非常によくわかる。藤子Aさんが本文のほとんどを書き、各章のはじめに藤子Fさんがポツリとつぶやくように一言書き添えているという構成もよかった。
 お二人の全集である「藤子不二雄ランド」も手塚全集と同様、全巻そろえた。私の場合、やはりSFエキスの濃い藤子Fさんの作品の方が好みやけれど、私らの世代にとってはFもAも関係なく「藤子不二雄」という漫画家の作品が好きやったんやなあと、思う。
 謹んで哀悼の意を表します。

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