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笑福亭松喬の死 [追悼]

 今日は図書室登板で出勤。午前中は図書室にこもり、午後から事務作業をして、夕刻には出張で中之島の図書館に。勤務校の図書委員の生徒が職業体験で実習に行っている様子を見に行く。古い図書館独特の紙のにおいが充満していて、なんだか心地よい。ただ、淀屋橋の駅から図書館に行くまでカンカン照りの中を歩いた上に、駅の出入り口はみな階段でエレベーターがなく、左膝の負担がかなりきつかったのには参った。
 落語家笑福亭松喬さんの訃報に接する。享年62。死因は肝臓癌。
 ここ数年は癌と戦いながらの高座で、NHKの「上方落語の会」に出るたびにあのふくよかでがっしりしていた体躯が少しずつ痩せていっているのを見て心配していた。それでも、口舌はしっかりしていたので、これやったらまだまだ……と思うていた。ところが先週の「日本の話芸」で「網舟」を口演している模様を見たら、肉がすっかり落ちてしまい、まるで先代の桂春蝶さんみたいにがりがりになっていた。もう長くないんやないか……と覚悟はしていたけれど、こうやって訃報に接すると、やはりこたえるなあ。
 私が松喬師匠の高座に生で初めて触れたのはまだ笑福亭鶴三と名乗ってはった頃。京都の「市民寄席」で六代目松鶴、米朝、小文枝、三代目春團治の「上方落語四天王」が勢ぞろいした会で前座と座談の司会をしてはった。この時は私は「四天王」にばかり気がいって鶴三さんの落語はとりたてて印象に残ってへん。
 次にABC「エキスタ寄席」で桂文太さんと鶴三さんの二人会の公開録画に当たって、かなり前の席で聴いた。文太さんが「江戸荒物」、鶴三さんが「手水廻し」をやらはった。この時、鶴三さんが「長い頭をまわす」場面がなんともいえぬおかしみを感じさせ、それ以降は生でもテレビ放送でも、そして御自身手作りのCD集などでその素朴な味わいのあるおかしみを堪能させてもろうた。
 播州訛りが取れずに苦労したという枕は何度も聞いた。確かに大阪生まれで大阪育ちの人の落語とは感じが違う。なんかほんわかとして、温かみのある口舌は、ベースの播州訛りから来たものやなかったかと思う。
 そういう意味では、「手水廻し」は松喬さんにとっては思いのこもるネタやったのかもしれん。大阪の風習を知らない山家の人々が頓珍漢なことをするのを笑うんやない。あくまでも重点は山家の人々が大阪から来た客を怒らせてしまい困り果てているところにあって、そこに自分が弟子入りした頃のことなどを重ね合わせていはったんやろうなあ。
 62歳での死は、落語家としてはまだ若すぎる。ここから70くらいの10年間に、熟した味がしみこんでくるところやねん。まだまだ師匠の味わいのある落語を聞きたかったなあ。
 さいわい、松喬師匠は三喬さん、生喬さんらやはりじんわりとした味のお弟子さんを育ててくれはった。これもまた師匠の人徳というものなんでしょうなあ。
 謹んで哀悼の意を表します。

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