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秋田Aスケの死 [追悼]

 漫才師秋田Aスケさんの訃報 に接する。享年93。死因は糖尿病性腎症。
 私が漫才や落語に親しみだした頃にはもう一線を退いてはったけれど、漫才まつりなどの企画ものには相方のBスケさんとともに昔の漫才を披露してはった。英語漫才と称して「アーマ・ナットビス・ケーット」とAスケさんがやるとBスケさんが「それどういう意味?」とつっこみ、「甘納豆ビスケットや」とぼける。他愛ないといえば他愛なかったけれど、師匠である秋田実さんの「家族みんなが楽しめる健全な笑い」を体現してはったんやろうなあ。
 戦前、吉本の養成所で双子漫才のAスケBスケとして出発したけれど、初代Bスケさんが亡くなり、二代目Bスケさんとコンビを組み、秋田実門下に。戦後は蝶々・雄二、ワカサ・ひろし、いとし・こいしといった面々と「MZ研進会」を結成し、秋田実さんの指導のもと、若手人気漫才師として活躍。宝塚新芸座・上方演芸社を経て松竹芸能に。1950年代のラジオ全盛期にはBスケさんが「エテコのBちゃん」として人気を博したけれども、ネタの数が少なく次第に飽きられていって、コンビは解消しないまま副業の飲食店に力を入れるようになった。
 ただし、全盛時の人気はものすごかったと聞く。ただどうしても「エテコ」に頼ってしまい、いとし・こいしのようにどんどんネタを増やしていくことがなかったのが、人気凋落の原因やったらしい。今でいう「一発屋」的な要素があったのかもしれん。
 それでも1080年ごろに久々にテレビ出演したよみうりテレビ「お笑いネットワーク」の映像が残されていて、DVD化もされている。ラジオ時代の漫才は一般の方の録音したコレクションがCD化されていて、それで往時の勢いを偲ぶことができる。
 一時代を築いたけれど、第一線から離れて長かったために新聞などで訃報もそれほど大きくとりあげられなんだけれど、MZ研進会の他のメンバーよりも長命やったわけで、できればその当時の証言など、誰かが聞き書きでもしてくれていたらなあ。貴重な資料となったやろうになあ。
 謹んで哀悼の意を表します。

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