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佐村河内守の裏切り [音楽]

 佐村河内守という作曲家が話題になっているのは知っていたけれど、実はほとんど関心がなかった。全聾の作曲家という話題ばかりが先行していたからで、まあ一度は聴いてみてもええかとも思うていたけれど、自分の好きな曲を好きな演奏家が演奏したCDを聴くだけでやっとという状況やったからですね。
 で、その佐村河内氏が作曲したとされていた曲は他人の代作やったということで騒がれている。裏切られたとかなんとか。
 つまり全聾の作曲家が作曲したから有り難がっていただけですか。
 音楽の楽しみ方としてはなんか違うなあという気がしてならんなあ。作曲家が誰であっても、名曲は名曲。例えば文部省唱歌は長年誰が作曲したか公表されてなんだ。それでも多くの人がそれらを聴き、また口にしてきた。ええ曲やったからでしょう。
 裏切られたのなんのというて非難するということは、曲そのものに感動したんやなくてそれを作った作曲家の物語にとらわれていただけということになる。
 まあ、著作権の問題とかいろいろあるからCDや楽譜の出荷停止というのは仕方ない。作曲家に与えた表彰を取り消すのも仕方ないやろう。
 そやけど、曲そのものを聴いて感動を覚えたんやったら、裏切られたも何もないはず。例えばベートーヴェンの交響曲を聴く時にいちいち耳が聞こえない状態で作られた曲かどうかを気にしながら聴きますか。ワーグナーの曲を聴く時にいちいちこの男は弟子の妻を寝とったひどい男が作曲したとか思いながら聴きますか。
 さらにいえば、どんな名曲も演奏家によっては凡庸な曲としか感じられなんだり、そんなたいした曲やないと思うていた曲が演奏家次第でものすごく面白く感じられたりもする。大事なのは西田幾多郎の言葉を借りると、その曲を聴いた時の純粋経験であって、佐村河内氏が作曲しようが新垣隆という人が作曲しようが、その曲そのもの持つ力や演奏の素晴らしさの前ではどうでもええことなんやないかなあ。
 がぜん佐村河内氏がイメージを作り新垣氏が仕立て上げた一連の作品を聴きたくなってきた。どんな人によって作られた曲かということの方が大切であるような凡庸な曲なのか、誰が作ったにしても純粋に感動できる曲なのか。非常に気になるやないですか。

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