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国民に謝る姿 [スポーツ]

 私が五輪大会をどうも好きになれないのは、大会を国威発揚の場にしたがる人たちがいてるからかもしれん。むろん、メダルを獲得した人たちには賞賛を惜しみなく送りたい。ただ、それはその人たちの優れた技量に対してであって、たとえメダルに手が届かなかったとしても非難する気にはなれん。
 メダルを獲得でけなんだ選手が「国民の期待にこたえられなくて申し訳ない」なんて謝るのを見てると、そんな謝らんならんような悪いことはしてへんのにと思う。結果を残せなんだ自分に対して悔しがるのは当然としても、国民なるものがどれだけのことを普段の彼ら彼女らにしているのかを考えると、別に謝る必要はないと思うんですね。
 五輪大会の出場が決まって初めて知る名も多い。普段見向きもしない競技や選手に、この2週間あまりの短期間だけ声援を送る「国民」の期待にこたえる義務は、選手たちにはないと思うのですよ。
 私はタイガースと相撲については少しばかりくわしいつもりやけれど、それはタイガースの試合は見たり聞いたりできる限りすべて(テレビやラジオを通してでも)追いかけているし、相撲は幕下以下の取組から録画して見ているからであります。そやからというて負けたから謝れとは思わん。応援しているのは私の勝手で、勝てばうれしいし負ければ悔しいけれど、それだけのこと。負けたくて負けたわけやなかろうし、悔しいのは応援している私よりも選手たち本人の方がよほど強かろう。
 というわけで、五輪大会をたまたま見たりしても、その技量を楽しみこそすれ、結果が悪いからと責める気にはならんのですよ。特にアマチュアの選手はいろいろな制約の多い中で自分を常に鍛えあげているわけで、それでもあかん時はあかんもんなのですよ。それを責めてどないすんねんな。
 結果が出なんだ選手たちが「申し訳ありません」と謝る姿を見て満足している人というのはどれだけいてるんやろうか。そういう人がいてるとしたら、その人の精神構造が私には理解でけんなあ。

 2月16日(日)は「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。