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令和に聴くスーダラ伝説 [音楽]

 愛すれどTigers「才木、3年ぶりの復活勝利」を更新しました。

 今日は出勤日。朝から小雨。折り畳み傘を持っていったけれど、差さんならんというほどやなかったのでずっと手に持っていく。月曜はほとんど授業で放課後はもうへろへろ。それでも奨学金がらみの仕事があるので、少しばかり残業。
 3年生の現代社会の授業では「戦後経済史」を何時間かにわたって教えている。オイルショック以降は自分がリアルタイムで経験してきたことが多いので、ネタもいろいろと持っているけれど、高度経済成長期までは幼くて記憶してへんことも多い。そのため、「三種の神器」こと白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機の写真や新幹線の0号車、東京五輪や大阪万博の写真などをスライドショーで見せたりする。
 あと、高度経済成長期を象徴する歌として、私の趣味であるけれど、植木等の歌を聴かせることにした。というてもCDよりも映像がついている方が食いつきもええやろうと思い、ネット上の動画を探してみたけれど、クレージーキャッツ全盛時の映像というのはあまりこれというものが拾えないのですね。そこで、時代はずれているけれど、往年のヒット曲のメドレーである「スーダラ伝説」の動画を見せる。ほんまはフルバージョンを見せたかったんやけれど、これも動画でアップされているものは見つからず。仕方なく紅白歌合戦のショートバージョンを見せることにした。
 クレージー・ソングから高度経済成長期の空気を少しでも感じとってもらいたかった。それが成功したかどうかというと、プリントに書かせた感想からはわずか数人が趣旨に沿った回答をしてくれていただけで、大半は「楽しそうだった」みたいなのばかり。ただ、動画を見せている間はかなり食い付きがよかったのは感じられた。
 生徒といっしょに「ドント節」や「スーダラ節」、「無責任一代男」などを聴いていて感じたのは、令和の今、こういうどこまでも調子のよい歌詞や、無制限に明るい曲というのは作られへんやろうなあということ。あの時代やなかったら作られなんだ曲ばかりなんやないかということ。そして驚くべきは楽曲も歌詞も古びたところがないということ。いつの時代であっても萩原哲晶サウンドは常に新鮮に感じられる。思えば「スーダラ伝説」のヒットは90年代の終わり。30年の時を経て再びクレージー・ソングが新しいものとしてヒットしたんやなあ。クレージーのメンバーは犬塚弘さんを除きみな鬼籍に入ったし、犬塚さんも引退して現在はどうしているかわからん。それでも、またしばらくしたらリバイバル・ヒットするんやないか。
 ビートルズの曲がエバーグリーンとして世代を越えて聴かれているのと同じように、クレージーの曲もいつまでも新しいものとして受け入れられていくんやないか。生徒たちの反応を見て、そう感じた次第。
 帰宅後は寝床にどぶさってスマホをいじったり少し本を読んだりして過ごす。明日は定休日。やはり梅雨空みたいなどんよりした天気らしい。一日まただらだ過ごしてしまうのかなあ。

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