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二代目若乃花幹士の死 [追悼]

 今日は海の日。ハッピーマンデーのために月曜日に移動しているから、私は定休日とあわせて5連休。
 昨日の疲れもあってか、一日だるい。朝は例によってアニメを見たりして過ごす。昼食後、パソコンに向かい、それから午睡。一度5時半ごろに目覚めて起きようとしたんやけれど、二度寝。8時ごろ、こんなに寝てたんでは相撲と野球で大変やと起きてきたら、タイガースの試合は中止。広島は、九州北部から瀬戸内海にかけての雨雲の真下にあり、とても野球どころやないようです。
 というわけで、相撲中継の録画を、もと白鵬の間垣親方の解説でたっぷりゆったり観戦。放駒部屋、鳴戸部屋の力士が新型コロナウィルス感染症の親方や力士が出たため全員今日から休場。昨日は出羽海部屋の力士全員が休場。御嶽海はカド番で大関陥落必至という感じやったけれど、コロナ措置で来場所も番付は据え置きと助かった感じやけれど、一山本は2敗で優勝争いに加わっていただけに気の毒やな。相撲はなんと正代が5勝目をあげて、カド番脱出の可能性が高くなってきた。3日目までの相撲と別人みたいになっている。なんでも間垣親方のアドバイスがあったとのことやけれど、そのアドバイスというのは「四股を踏んで汗をかけ」やそうで、天下の大関がそんな初歩的なアドバイスで立ち直るとか、なんか信じられんなあ。もっと心の持ちようとか技術的なアドバイスとかそんなものやないかと期待してたんやけれどね。照ノ富士をはじめとする2敗グループがトップ集団やけれど、3敗グループにもまだまだチャンスあり、と見る。
 間垣親方といえば、五六代横綱、二代目若乃花幹士の下山勝則さんの訃報 に接する。死因は肺癌。享年69。これで「花のニッパチ五人衆」で御存命なのは大錦さんだけになった。昭和28年生まれの生きのいい若手が五人そろったので、そう呼ばれてたのですね。当時のしこ名で北の湖、若三杉、麒麟児、大錦、金城でした。
 若三杉時代の下山さんはほんまに華があった。右上手をつかみ、弧を描くような上手投げは非常に美しかった。将来は北の湖のライバルとして時代を作ると期待されていた。ただ、横綱に昇進し、師匠のしこ名をそのまま引き継ぎ、また師匠の娘婿となったあたりから精彩を欠くようになったのは残念。ほんまは結婚したい人は別にあったのに、師匠の期待が大きすぎて後継者に祭り上げられたのが却ってようなかったのか。
 優勝4回は期待されていたほどの成績をあげられなんだことを示している。結局師匠のお嬢さんとは別れ、もともと結婚したかった相手と再婚し、間垣部屋を創設して師匠のもとから独立した。それでも理事をつとめて春場所担当として長らく重責を担ってはったし、五城楼、若ノ城など幕内力士を育成したんやからたいしたものです。
 若三杉時代にサイン会でサインをもろうたこともあったなあ。春場所、観客が不入りで難渋していた時、体育館の喫煙コーナーに一人ポツンと立って、外の雨を眺めてはった姿は忘れられん。結局体調を崩して部屋を閉鎖し、若三藤や駿馬といった弟子を伊勢ヶ浜部屋に譲って退職しはった。若三杉時代の華やかさを思うと、寂しい去り方やった。
 でもね、ほんまに若三杉時代は一番輝いていたよ。かっこよかったよ。師匠の二子山親方ならずとも期待しないわけがないくらいやったよ、ほんま。
 謹んで哀悼の意を表します。

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