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どろろ [手塚治虫まんがの魅力]

 最近BS2で放送された「手塚治虫」特集に触発されて、むずむずと手塚マンガについて語りたくなった。「手塚治虫COVER タナトス篇」という文庫に解説を書いたりもしたけれど、とてもあの枚数では足りなんだ。
 というわけで、時々手塚マンガについて書くことにする。
 今日は、私が初めて「手塚ファン」になったマンガについて。
 それは、「どろろ」。最近妻夫木聡主演で映画化されたんで、そちらで知っている方もいてるやろう。私はテレビ放送されたものを見て、映画としての出来は悪くはないけけれど、手塚原作とは別物と考えた方がええと思うた。
 私がまだ幼稚園に入る前にはテレビまんがの「鉄腕アトム」が好きやったらしく、まわらん舌で「あぽむ」「おみずはかせ」と言うていたらしい。「お水博士」は今やったら天才的科学者でクラブのママというような主人公の小説になりそうですね。
 「鉄腕アトム」はソノシートも買うてもらい、「ロボット学校のうた」もそらで歌えるくらい聴きこんだりもしたけれど、まだ「手塚治虫」という作者にまで思い至る年やなかった。
 親戚のお兄さんの家では少年週刊誌を定期購読していて、小学生の私はそれを読みに行くのが楽しみやった。「少年サンデー」で私を虜にしたのが「どろろ」やった。絵柄は子ども向きの丸い線、話は少し残酷でドキドキするもの、主人公は手から刀をはやしたかっこいいお兄さん。むさぼるように読んだね。
 「少年サンデー」の増刊で「どろろ」の総集編が出ているのを本屋で見つけて無理を言うて買うてもろうた。そこで、百鬼丸の背負う悲しい運命や妖怪たちがそれぞれに持つ物語、重要な登場人物でもかんたんに殺されてしまう現実のきびしさ。すべての要素に夢中になった。
 特に「ばんもん」の巻ではどろろの友達になった少年が、国境の向こうにいる母親に会いに行くために「ばんもん」と呼ばれる大きな板の向こう側になんとかたどり着いたものの、母親はすでに死んでおりしかも彼も国から逃げ出した人間として見せしめに殺されてしまう。小学生の私には十分ショッキングなシーンで、かつこの世の無常というものを生まれて初めて教えられた瞬間やった。
 のちに秋田書店のサンデー・コミックスで全巻そろえて読み、どのエピソードにもそれぞれに残酷な人間の業が描かれているのを知った。
 映画ではどろろを柴咲コウが演じていて、まあどろろは実は女の子なんやからそれでええっちゅうようなもんなんやけど、やっぱりどろろは両性具有的なところに魅力があるんであって、明らかに女性であるとわかるという配役では、手塚先生のねらったものが表現されんように思うなあ。
 アニメ版は北野英明のキャラクターデザインに違和感があり、「どんぶりばら」の巻なんかあまりに怖くてテレビの前で泣きだしたほど。原作の怖さはそういう泣いてしまうような性質のものと違うからね。
 というわけで、「どろろ」を読み、以降は「手塚治虫」という漫画家の描いたコミックスを書店で探すようになった。「どろろ」との出会いは、今の私につながる貴重な出会いやったと思うんですわ。

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R-1ぐらんぷり2009 [演芸]

 一人芸のコンテストとして定着した「R-1ぐらんぷり」をテレビで見る。
 優勝したのは中山功太。これまでも決勝まではいくんやけれど詰めが甘いというかネタの展開の仕方に決め手を欠くという感じで優勝にはいたらなんだ。今年は時報に合わせてツッコミの言葉を淡々と言うてからボケで決めるという手法で笑いをとった。そのツッコミはどんなボケに対して発せられたものか、見てる側が想像し、その説得力で客を笑わせるというあたり、以前に見た時よりも笑いのツボを体得したと感じさせるもの。
 2位のエハラマサヒロは勘違いしている「ミュージシャン」のライヴをいかにもありそうな感じで展開した。中山功太と同様「あるある」と思わずうなずかせてくれる設定とやネタの秀逸さが光った。
 期待して見ていた鳥居みゆきは妙にかっちりと構成されたネタで実力を出し切れず敗退。天才的な芸の持ち主だけに、「三振かホームランか」的になるのは仕方ないところ。並んだ本の内容を一気に説明してみせるというネタの鬼頭真也はアイデアがよく練られている。大胆な説明をしつつ実は嘘がないというところがミソ。
 今年はキャラクターの強烈さよりもネタの内容と間やメリハリをきかせる芸人さんの実力が評価された大会やったと思う。はずれがこれだけ少ないのは、一人芸というジャンルが定着し、全体にレベルが上がってきているということなんやろうな。

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使用上の注意 [時事ネタ]

 昔、アニメで、風邪を早く治したくて風邪薬をたらふく飲んでぶったおれる女の子が出てくる場面を見たことがある。なんというアニメやったか忘れたけれど、そのおかげで薬には適正な服用量があって、それをこえて呑んだりしたらえらいことになるというのは覚えた。
 テレビで薬品のコマーシャルを見たら、必ず「使用上の注意をよく読んでお飲みください」という注意書きが出る。風邪薬やと、散剤の場合は「12歳以下は1/3包」てなことが書いてあったりする。1包まるまる飲んだら、子どもにはきつすぎるのですね。
 財務大臣は「朝昼晩と風邪薬を飲んでいたが、ちょっと量が多かった」せいでG7での記者会見でめろめろになっていたと釈明してるけど、そんなめろめろになるほどやったら「ちょっと量が多かった」程度やなかろうと思うんですけど。
 漢字の読み間違いよりも情けないんやないかなあ。薬には適正な量があるという常識もないというのは。下手したら薬の飲みすぎで病気になるぞ。まさかその風邪薬というのは売薬やないやろうな。大切な会議に出席するため大臣が海外に行くのに、いくら忙しくても医者に診てもらう時間もないというはずがないと、私は思うんやけれど。医者に処方してもろうた薬やったら、ちゃんと医者に指示されたとおりに飲まなあかんやろう。売薬やったら「使用上の注意」をよく読んでから飲まんと、なおのこと危ない。
 酒の飲みすぎで酩酊してるのをごまかすために「風邪薬でした」と言うてるんやったとしたら、それは何のフォローにもなってへんと思いますぞ。かえって逆効果かも。風邪を治すために不必要に大量に薬を飲むような常識のない人が大臣ですか。それはちょっと、ねえ。

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シンケンジャー開始 [テレビ全般]

 今日は「たちよみの会」例会。喫茶「フランソア」はえらい混んでいて、席のあくのを店の外で待つ人もいてた。えらいことですなあ。行き帰りの電車も混んでたし、陽気に誘われて外出する人が多かったんかしらん。

 今日から始まった新番組、「侍戦隊シンケンジャー」の第1話を見る。脚本は小林靖子さん。
 今回は偶然戦隊のメンバーになってしもうたとかいうことはなく、すべてのメンバーが時が来ればシンケンジャーになるという設定なので、作品世界にスッと入れた。前作「炎神戦隊ゴーオンジャー」のメンバーが「炎神」にたまたま選ばれただけで戦隊のメンバーとなるための訓練を受けてたというわけでもなんでもないのと比べると、かなり好感度が高くなる。
 また、シンケンジャーを支える「じい」の役に伊吹吾郎さんがキャスティングされているところにチャンバラものをきちっとやろうという気合みたいなもんが感じられた。そらあんた、「無用ノ介」をはじめとして、「水戸黄門」の格さん、「必殺仕事人」の左門、「新選組!」などの大河ドラマなどなど数多くのテレビ時代劇に出演してるベテランやからね。若い役者たちをぴしっとしめてくれることやろう。
 まだ第1話を見ただけやから先はわからんし、チャンバラ・アクションもCG処理してあるからどこまでちゃんした殺陣をつけるのか不安もある。そやけど、けっこう楽しませてくれそうな感触があった。期待してまっせ。

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たこ焼きチョコレート [季節ネタ]

 今日は聖バレンタインズ・デイ。毎年妻がおもしろいチョコレートを見つけて買うてきてくれるので楽しみにしている。
 今年はハートチョコレートとたこ焼きチョコレート。ハートチョコレートは2つ買うてくれたけれど、私に渡したすぐそばから「はい、1つちょうだいね」と取って食べてしまう。「あなたのハートは私がいただいた」やて。私のハートはピーナツ入りかい。
 たこ焼きチョコレートは丸いチョコレート1つ1つをたこ焼きの写真がプリントされた袋でつつみ、へぎで作られた船に乗せてある。中にはタコになぞらえた何かが入っているんかと思うて食べてみたら、空洞やった。こってたのは包装だけなんやね。妻ともども残念がる。もっとも、吹田の名前も聞いたこともない会社の企画ものやから、あまり期待せん方がよかったのかも。
 今年は土曜が休みの職場なんかは、それを理由に義理チョコなんか量が減ったやろうなあ。景気も悪いし。チョコレート好きの私は義理でもやっかいでもなんでもかまわんからチョコレートをもらえたらそれでええんやけれどね。

 明日、2/15(日)は「たちよみの会」の例会です。多数のご参加お待ちしています。

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哲学者になるには [日常生活]

 今日読んだ朝日新聞の相談コーナーで、14歳の女の子が「哲学に興味があるけれど、どうすれば哲学者になれますか」という質問をしていて、回答の哲学者が「哲学者は、自分が哲学者と名乗ればそれでもう哲学者なんだ」というようなことを書いていた。
 なるほどねえ。人が生きるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか、何のために生きるのか、幸せとは何か、人間とは何か、真理はあるのか……というようなことを常に考えているような人は確かに哲学者に違いなかろう。
 そんなこと、誰もが考えるんやないかと思う人もいてるやろうけれど、そうとも限らんのですよ。「哲学入門」という授業で「自分が死ぬということを怖いと思うか」とかなんとかいうような質問を投げかけた。レポートに書かれた答えには生徒それぞれの死生観が書かれていておもしろく感じたもんなんやけれど、中にはこんな答えもあった。
「そんなん考えたってムダ」
 ほかの問いかけに対してもこういうような調子で答えてる生徒でして、その無駄なことをああでもないこうでもないといじりたおすのが哲学なんやないですか、君はなんで「哲学入門」なんていう授業を選択したのか、と聞き返したくなったなあ。
 新聞の相談コーナーに話を戻すと、「ムダ」と答えたような生徒は哲学者には向いてへん人なんやろうと思う。おそらく自分でも「私は哲学者よ」なんて宣言したりはせんやろうけれど。
 そういう意味では私は小学生の時の方が哲学者やったように思う。「永遠に広がる果てしない宇宙」というフレーズを目にしたら、その永遠の広さに対しておびえ、不安定に浮かんでいる星に住んでいるということに不安を募らせ、永遠に生き続けたいという思いと死なないで生き続けるという終わりのない「生」に対する不安がわき上がってきたりしたものです。
 年を取ると自分自身の限界や思考の限界が見えてしもうたりするので、ああいう不安感を抱くことはなくなった。いつ頃からなくなったんかなあ。あ、手塚治虫の漫画を読み続けていくうちになにか納得できる答えを自分なりに見つけたように思う。やっぱり手塚先生は凄い。
 あれ? なんでこんな結論になったのやら。まあええか。

 2/15(日)は「たちよみの会」の例会です。多数のご参加お待ちしています。


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「火の鳥」を放送するならば [テレビ全般]

 今日のBS2の「手塚治虫特集」は「火の鳥」について。内容は土曜にでもゆっくり見るつもりなんやけれど、ゲストの野田秀樹さんの話のあと、再放送アニメとして「火の鳥未来編」を放送していた。
 うーむ、これ、NHKでやってた、手塚さんの死後10年以上たって作られたやつやねんなあ。そんな新しいのを放送するくらいやったら、せっかくやから手塚先生もかかわり、商品化されてなかったり、されてても現在入手不可能なものを放送してくれる方がファンとしては嬉しいんやけどね。
 例えば、市川崑監督の「火の鳥」なんかどうやろうか。原作は「火の鳥・黎明編」。アニメと実写の合成が話題を呼び、アニメ部分は手塚先生が自らコンテを切ってつくったもの。映画の出来はいくぶん冗長ではあるし、せっかくのアニメ部分も編集でずたずたにされてしまうということでファンには不評ではあるんやけれど、谷川俊太郎さんの脚本はあの大長編をうまく刈り込んでまとめてあるし、猿田彦役の若山富十郎、ヒミコ役の高峰三枝子など、キャストも豪華。本編に加えて、編集前のアニメ部分(鉄の矢を打たれた火の鳥がくちばしで矢を抜く場面)もサービスカットとして放送すれば手塚先生の表現も生かされる。ミシェル・ルグランの主題曲と深町純の劇伴音楽は名曲なんやけどね。
 この「火の鳥」」の映画はなぜかDVDになってへんし、サントラ盤もCD化されてへん。なにか事情があるんやろうけれど(著作権者は「火の鳥プロ」となっていて、実体がなくなっているということなのか。サントラLPを発売したアルファレコードがなくなったということも関係してるのか)、せっかくBSで放送するんやから、「鉄腕アトム」の劇場版「宇宙の勇者」を放送したように、ファンが唸るような選択をしてほしかったなあ。だいたい自局で放送したものを流すなんて、ちょっと安易やなあというような印象を受けてしもうたぞ。残念!

 2/15(日)は「たちよみの会」の例会です。多数のご参加お待ちしています。

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地球はきれいだなあ [テレビアニメ]

 読売テレビで録画中継していたタイガースとファイターズの練習試合を見る。あまり上手とはいえんトランペットが1本で必死にヒッティングマーチを鳴らし、甲子園とは比べものにはならんけれどそれなりに入った観衆が「かっとばせー、とーりたに」とコールしている。ああ、そういう季節になったんやなあ。気がついたらオープン戦が始まっていたりするんやなあ。

 一昨日と昨日BS2で放送された手塚治虫特集を録画しておいたので、午後に一気に見た。一昨日の分では虫プロ版「鉄腕アトム」の最終回を丸ごと放送。とはいえ最後に登場人物全員並んであいさつの言葉が入っていたはずやけれど、それはカットされてた。
 アトムが太陽に向かってロケットを抱いて飛んで行き、振り返って「地球はきれいだなあ」と言うたところで涙腺だだ漏れ。こんなになく涙が私にもあったんやと思うくらい、涙が止まらんのですよ。妻は実家に行ってて不在。おっさん一人がテレビの前で「ううっくううっく」と嗚咽をこらえきれずぼろぼろぼろと涙を流しているところなんか見られたもんやないから、このときだけは不在でよかったと思うたりなんかした。
 なんであんなに泣くかなあ。子ども時分はよう泣く子やったけれど。まだ感性は擦り切れてへんと、好意的に解釈しておきましょう。

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15秒ルール [プロ野球]

 今日から本格的に職場復帰。とはいえ、葬儀の後、妻の実家は事後処理でばたばたと落ち着かへん。生活のリズムが日常に戻るにはまだまだ時間がかかりそう。
 落ち着かんというと、プロ野球で今季から導入されることになった「15秒ルール」やな。産経新聞のサイトから引用する。
“プロ野球のセ、パ両リーグ審判部合同会議が30日、大阪市内で行われ、無走者のときに投手が捕手などからボールを受けて15秒以内に投球しない場合は、審判員が「ボール」を宣告することを確認した。試合時間の短縮が目的。すでに実行委員会で合意済みで、日本プロ野球組織(NPB)が審判員に正式に伝えた。
 従来の投球制限時間は「12秒以内」だったが、「投手が打者に正対してから」で運用されてきた。「投手がボールを受けてから15秒」とすることで無駄な動作を減らし、スピードアップを徹底する方針。アグリーメント(申し合わせ事項)に盛り込み、強制力をもたせる。試合中は二塁塁審が時間を計り、15秒を超えたケースは「ボール」を宣告する”
 実際にこれを適用して練習した投手たちからは悪評ばかり。ファイターズのエース、ダルビッシュをはじめとして、ゴールデンイーグルスの岩隈、ホークスの斉藤和らなみいるエース投手たちが「これでは野球にならない」と怒っている。
 スポーツ紙の記事を読むと、投手が捕手から返球され、サインを交換して2回も首を横に振ればそれで15秒。サイン交換をしているだけで審判が「ボール」とコールしてしまうらしい。確かにテンポの良い投手が投げていると気持ちいい試合になる。わがタイガースではアッチソンや江草がそうで、相手の打者が考える暇を与えないでどんどん攻めていく。ただし、どうしても投球が単調になるのも事実で、打たれ始めると止まらなくなる。藤川やとじっくりと時間をかけ間合いを置いて、モーションに入ると気持ちのいい快速球を投げる。それぞれ個性があるし、間合いがあるからというて球場で見ていてじれたり退屈になったりすることはあらへん。
 3時間を超す試合は確かにその数字だけをとると長く感じられるかもしれん。そやけど、中身の濃い試合やったらなんぼ時間がかかっても飽きることはない。常に息をのむような場面が続いたら、3時間が4時間でもあっという間に過ぎる。実際、延長15回という試合を甲子園で体験したことがあるけれど、1点を争う展開に終電がいつかなんていうようなことも忘れて最後まで応援したもんです。ただし、その試合はタイガースが負けたんで、帰りの電車が異様に長く感じられたりしたけど、それはまた別の話。
 もし投手がテンポよく投げ込んでもストライクが入らず四球連発となると、試合が2時間で終わったとしても退屈な展開に文句の一つも言いたくなるやろう。ましてやサイン交換の間にボールカウントがどどん悪くなって四球を出してしまうようなことになったりしたら、そちらの方がつまらん。
 コミッショナーは「慣れればいい」と言うたはるらしいけど、そういう問題やないやろう。私らファンは試合の内容が一番大事で、試合時間は短い方が早く帰れてええとはいえ、投手がルールに縛られて自分の投球がでけへんようになって凡戦になったりしたら、つまらんと思うやろう。
 野球は時間制のスポーツやない。そんなに時間が気になるんやったら、2時間半で試合打ち切りとかいうルールに変えたらよろし。そやけどそうなると野球の面白さは今とは全く違うものになってしまうやろうね。
 というわけで、15秒ルール、今後も波乱含みです。どうなることやら。

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プロジェクターのライト [教育]

 私の勤務校には全盲の先生がいてはる。板書が難しいんで、パソコンで前もって作成し、黒板にはスクリーンを張ってプロジェクターで投影するという工夫をしてはる。ハンディキャップを乗り越えて授業をする姿には頭が下がる。
 昨年の11月やったか、そのプロジェクターのライトが切れた。交換したらすぐに使えるんやけれど、府の赤字削減のため学校教育費が3割カットされ、電球を交換する予算もないんやそうや。しかたなく、私の担当する自立支援コースの備品のプロジェクターを年末までということでお貸しすることになった。年を越した今、こちらで使いたくとも、プロジェクターはまだ返ってきてへん。その先生にとっては必要不可欠なもんやから、早く返してともいいにくい。痛みを分かち合うというのはこういうことか。
 今日、新聞のニュースサイトに、「新年度の予算案、小学校校庭の芝生化に2億7千万円」とあった。来年度の予算とはいえ、今年度は今ある設備に対して必要な予算さえ削減しているわけで、これだけ芝生に金をかけられるなら、来年度はプロジェクターの電球なんかなんぼでも交換できるくらいの学校予算を組んでくれはるんやろう。そうやなかったら、現場の教員は仕事になりませんわ。

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