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海原小浜の死 [追悼]

 午前中に年賀状をすべて投函。妻ともども風邪気味で調子が上がらない。明日あたり正月向けの買い物に出ようと思うんやけれど、ちょっとしんどいですね。夜は妻といっしょに録画してずっとおいてあった映画「必殺仕掛人 梅安蟻地獄」(主演・緒方拳)を見たりして過ごす。こんな暮れでええんか。
 スポーツ紙で、漫才師海原小浜師匠の訃報に接する。享年92。
 一時はラジオ番組などにようでてはったけれど、最近はその声を聞かんようになったなあと思うていたら、長期入院で闘病中やったということ。
 ミヤコ蝶々師匠と同じように、子ども座長「月乃家桃子」として芸の世界に入り、叔母さんと「ハッピーお浜・小浜」の名でコンビを組む。ただし、漫才では姉妹ということにしていたのですね。戦時中、ハッピーの屋号は敵性語ということで「愛國お浜・小浜」に変え、戦後は「佐々波お浜・小浜」に。ミヤコ蝶々師匠が「さざ波では大きな波を起こせないから大きな屋号に変えたら」とアドバイスして「海原お浜・小浜」に落ち着いた。時局がからんでいるというても、こんだけ屋号を変えた漫才コンビは珍しいと思う。「お浜・小浜」は変えてはらへんのやからね。
 改名を機にラジオの漫才番組の仕事が増え、本格的な女流しゃべくり漫才として人気を博す。お浜師匠が眼疾で引退し、あとはピンでずっと続けてはったのは、他の人と組んでも「お浜・小浜」のような漫才はでけんという判断やったか、お浜さんの復帰を最後まで待ってはったのか。
 漫才はとにかく異相のお浜師匠を小浜師匠が徹底的にボロカスにいう強烈なものやったなあ。奥目のマントヒヒのとかなりえげつない突っ込みようやった。ただ、不快には感じなんだのは、お浜師匠が負けんと思い切り言い返し、決して陰湿にならなんだ事か。そのあたりは孫の海原やすよ・ともこさんが受け継いでいる。
 ピンになってからも、米朝師匠とテレビで芸談をしたりしてはった。あれ、追悼番組としてそのまま放送してくれへんやろうか。子ども座長を振りだしにしてはるから、戦前の吉本のこととか、現場で知っている強みがあった。
 よみうりテレビの「お笑いネットワーク」で何本か録画を残しているはずなんで、あの気持ちの良いしゃべくり漫才をぜひ追悼番組としてきっちりと見せてもらいたいものです。
 謹んで哀悼の意を表します。

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