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曙太郎の死 [追悼]

 今年度も木曜はなにもでけん日になるんやろうなあ。
 朝から、昨日録画したナイター中継を見る。球場でリアルタイムで見てたん違うんかという人もいてるかもしれんけれど、アルプス席の前の方なんかほとんど細かなところはわからんのです。リプレイもないしね。
 というわけで、結果はわかっているけれど、アップにしたらどうなんかとかちゃんと確かめるように見る。そのあと、たまっている番組を何本か見て、昼食後は午睡。爆睡。疲労がたまっていた上に甲子園に行ったりしたからね。
 夕刻、社説のダウンロードなどをしてから、追っかけ再生でプロ野球中継を見る。今日はNHKBS。緊迫した投手戦で、頼みのゲラが1点だけ取られ、打線は全く機能せずに連敗。岡田監督自体が「普通に」やってへん。セオリーやとあそこにゲラを持ってくるのはおかしい。とはいえ打線のつながりがないのはどうしようもない。投手はがんばってますねん。
 試合終了後、しばらく読書をしていたら寝落ち。こんなんばっかりや。
 大相撲64代横綱 曙太郎さんの訃報に接する。享年54。死因は心不全。
 ここ数年、病魔との闘いを続けていて、時折その姿は新聞や雑誌で見ることができたけれど、テレビ解説などはとうていでけん状況やったという。
 若貴兄弟とは初土俵が同じで、終生ライバルとして君臨した。若貴兄弟よりも先に横綱に昇進した。先輩横綱が次々と引退し、横綱不在の中で、先に頭一つ抜け出したという形。とにかく破壊力は抜群で、巨漢特有のもろさもあまりなかった。「後藤の親方」と呼ばれた当時の木村庄之助親方に心酔し、横綱土俵入りの型などは実は庄之助親方の指導を受けていたという。四股の足はあまり高くなかったから「美しい」とは誰も呼んでなかったけれど、下の段の構えからせりあがる姿は腰が入り上半身の力が抜けた見事な堂々たるもの。私はあれほど見事な構えとせり上がりを見せた横綱を他に見ない。故実に最も通じた人の指導を受けたという点では、日本出身横綱の誰よりも立派やったといえる。
 強かったなあ。若貴のライバルということで、敵役になってしもうた面があったのは気の毒やったけれど、逆に、貴乃花のライバルというおそらく他の力士には耐えきれんくらいのポジションを守り通したんやからたいしたものです。
 残念ながら師匠との確執などもあったとかで、協会から去ることになり、総合格闘技やプロレスにその舞台を移すことになったけれど、親方としてどんな力士を育てたかと想像すると、相撲ファンとしてはちょっと残念。
 それにしても、若貴兄弟、そして曙さんと、あの時期の土俵の主役がすべていなくなってしもうた相撲協会というのは何なんや。また、曙さんのあと、若貴から朝青龍につなぐ役割を果たした横綱武蔵丸の武蔵川親方への待遇も低過ぎないか。
 そういう意味では旧態依然とした相撲協会の犠牲になった一人といえるかもしれんなあ。
 とにかく、あの馬力と出足の早さ、破壊力は今の力士では歯が立つまい。まさに若貴のライバルにふさわしい名横綱やったと、私は思うております。
 謹んで哀悼の意を表します。

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