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世紀の落球 [読書全般]

 今日は午前中のみ休日出勤。試験監督のあとは提出せんならん書類を出したり試験の準備をしたりして、定時に退出。でも、せっかく定時に退出してもバスが来ないので無駄に30分ほどバス停で待つはめに。大学がいまだ休校中なので、土曜のダイヤが大幅に変更になっていたのを確かめなんだ私が悪いといえば悪いんやけれど。
 眼鏡のフレームのねじが外れてレンズがどこかに行きかけたりとろくなことがない。前に使うていた眼鏡をかけて対処し、帰路、眼鏡店で直してもらう。ついでに駅前の書店で「フラワーズ」を買うて帰る。
 なんか疲れ果ててたので帰宅してすぐに午睡。夕刻起きてきて、追っかけ再生で相撲中継を見る。さすがに大関、貴景勝は翔猿をものともせず。正代が朝乃山を圧倒して単独でトップに。これは正代の初優勝、そして場所後の大関昇進というのもあるかも。でもまだ3敗力士での優勝決定戦の可能性は残している。さてどうなるか。
 夜はタイガースの試合をBS朝日で見る。1点差で負けた。ベンチの空気が重い。矢野監督が審判に何か怒っている。サイン盗みの嫌疑でもかけられたか(あとでスポーツ紙のサイトを見たら、ビデオ判定の最中にコーチが新聞記者と話をしていたことの確認やったらしく、矢野監督が怒っていたのは「そんなもん試合が終わってからでええやないですか」ということらしい)。まあしかし、落ち着いて野球に集中してられん状態ではあるからなあ。
 澤宮優「世紀の落球 『戦犯』と呼ばれた男たちのその後」(中公新書ラクレ)読了。オリンピックでメダルを逃す一因となった落球をしたGG佐藤、高校野球で延長戦の末ファールフライを落球した直後に同点ホームランとなった星稜高校一塁手の加藤直樹、1973年にタイガースが優勝を逃した原因とのちに呼ばれる落球をした池田純一。なぜ彼らの落球は「世紀の落球」と呼ばれたのか。そのエラーを取り返すべく大活躍したのに、なぜあとの活躍は忘れ去られてしまったのか。著者は本人たち当事者(池田は物故者のため、周囲の人物の証言)へのインタビューと、「落球」前後の事実を克明に記すことにより、その選手生命まで変えてしまったプレーの持つ意味を読み手に提示していく。問題は「落球」したことにより「勝利」が消えてしまったからなので、例えば1976年に甲子園で末次利光が満塁の場面でした走者一掃の「落球」は、それでもジャイアンツが優勝したために「世紀の落球」にはならなかったと指摘する。佐藤、加藤、池田は敗戦の責任を一身に受け、苦しみ、そして受け入れ、昇華させていく。ただしそれは人生経験を経て、長期にわたって昇華させていったもので、その途中の苦しみも、著者は余すところなく提示してみせる。敗者には敗者の物語があり、それは苦く、しかし深い。すべての野球ファンに薦めたい好著です。

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