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輪島大士の死 [追悼]

 今日は後期始業式。明日からの授業準備などに追われる。定時に退散。帰宅後、BS朝日で今季最後のジャイアンツ戦を追っかけ再生で見る。メッセンジャーでも勝てへん。まだあと2試合も残ってるのか。嗚呼!
 大相撲54代横綱輪島大士さんの訃報 に接する。享年70。死因は咽頭癌など。
 私が相撲に初めて触れたのが小学6年生の秋の京都巡業やった。北の湖の土俵入り、初っ切りなど初めて見る相撲に私は魅了された。子どもの特権で、場内をうろちょろとまわった。土俵下で輪島関と貴ノ花関が談笑しているのを見上げたのを今も覚えている。
 母が貴ノ花ファンやった影響で私も貴ノ花関を応援していたけれど、土俵の中心は横綱輪島関と北の湖関やった。巡業のあとにテレビで毎日相撲を見始めた。黄金の左と言われた輪島関は不調に陥り休場を重ねていた。
 その間に貴ノ花関が2度の優勝を果たし、北の湖関は大横綱への一歩を踏み出し、魁傑関が大関に昇進し、金剛関が平幕優勝を飾り……。そして輪島関は黄金のまわしを締めて再起を計り、復活の優勝を成し遂げた。
 輪湖時代が始まった。両雄がしのぎを削るのが相撲の醍醐味と知った。そやから千代の富士、朝青龍、白鵬が無人の野を行くが如く勝ち続けても、私の中では輪湖時代、そして曙貴の時代の方が数段上やったと今も思う。
 小兵の扱いが抜群にうまかった。反面、高見山関のような巨漢に一気に攻められるともろい一面もあった。そのギャップがまた土俵を盛り上げた。
 バラエティに富んだ役者の揃っていた時代やった。北の湖、若三杉、麒麟児、大錦、金城の花のニッパチ組。旭国、鷲羽山、北瀬海、若獅子ら小兵軍団。突貫おじさん富士桜に、人気者の高見山。ホラ吹き金剛。クリーン魁傑。曲者陸奥嵐、二子岳、栃東、増位山。技能は大関三重ノ海……書きだしたらきりがない。
 輪島の左下手投げは強烈やった。あの北の湖の巨体が振りまわされるんやもんなあ。
 引退後は年寄株を担保に借金をしたりして協会から追放されるように廃業。プロレスのリングにも上がり、なぜかアメフトの監督をしたりもしてはった。最近は声が出せず、それでもインタビューに答えて今の相撲界に対して熱く語ってはった。でも、明らかに病魔におかされているとわかった。まさか貴ノ花や北の湖が自分よりも先に逝くとは思うてなんだやろうなあ。
 あの頃の相撲はほんまに魅力的で面白かった。私らの世代にとっては黄金時代やったかもしれん。数々の名勝負、ほんまにありがとうございました。
 謹んで哀悼の意を表します。

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