SSブログ

桂米朝の死 [追悼]

 昨日の日記に書いたように、落語家で人間国宝の桂米朝師匠の訃報に接する。死因は肺炎。享年89。
 その功績は私がここで縷々述べる必要はないやろう。とにかく上方文化における偉人やったと、そう書くにとどめる。
 生で聞いた高座では、1982年頃、京都市民寄席で「上方落語四天王勢揃い」という企画で演じられた「立ち切れ線香」、1999年、桂枝雀逝去の直後に開かれた「米朝・小米朝親子会」で演じられた「百年目」がどちらも心に残っている。「たちぎれ」は落語を聞いて初めて泣いた。「たちぎれ」はこのあと2回生で聞いているけれど、一番最初に聞いた時のものがやはり一番印象深い。「百年目」は渾身の高座。迫力といい込められた思いといい、これまで生で聞いた落語の中で最も凄い出来の高座で、おそらくこれ以上のものを聞くことは二度とないんやないか。
 最後に生で聞いたのは2005年12月「平成紅梅亭」の公開録画。「大御所特集」という企画で、米朝師のほかには笑福亭松之助師、桂春團治師、露の五郎兵衛師などが出演。この時のネタは「けんげしゃ茶屋」やった。
 当日の私の日記より抜粋する。“桂米朝師匠は「けんげしゃ茶屋」。うーむ、時々言葉がスムーズに出なくなって必死に思い出している姿が、往年の端正な落語を知る者としては見てて辛い。とはいえ、昔の風俗などを説明する時にはすらすらと語れるんやから、お年を召して「研究者・中川清」に戻りつつあるのかもしれんな。”
 おそらくテレビ放送された最後の「落語」やないやろうか。これ以上「衰えた米朝」は聞きたくないというのが当時の思い。ところが、すごいのはここから「存在自体が落語」にならはったこと。小松左京先生を偲ぶイベントで舞台に出てきはったのが生米朝の最後になったけれど、それはもう出てきて一言何か言うだけで「うわっ」ときたもんなあ。
 これをきっかけに、米朝師だけやなく、「上方落語四天王」特に六代目松鶴師匠の功績の見直しも進めてもらいたいものです。戦後の上方落語の復興は四天王が絶妙のバランスでそれぞれの役割を果たしたからやからね。決して米朝師一人の功績ではないということを、こういう機会やから敢えて書き残しておく。
 謹んで哀悼の意を表します。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:お笑い