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マルタとイマデ [日常生活]

 昨晩はずるずると夜ふかし。いや、バッハの無伴奏ソナタとパルティータのアッティラ・アルデミールという人のヴィオラ演奏版のCDをきりのいいところまで聴こうとしてたらついつい寝るのが遅くなってしもうたのです。本来はヴァイオリンのための曲なんやけれど、ヴィオラの音で聴くとなかなかに心地よいのです。
 朝から寝不足で出勤。昨日の深夜に録画したアニメ「魔王城でおやすみ」をみていたら、主人公のスヤリス姫がうらやましくなってきた。魔王城に人質になっているお姫さまが「寝るしかすることがない!」と安眠を求めて魔王の城で好き勝手に動き回り、魔王や眷族たちが右往左往するというコメディなんやけれど、ただひたすら安眠を追求する姿にいつも羨望を抱いているのであります。
 お山の学校のところまで着いたら、地べたがうっすらと雪におおわれていた。寒っ。
 午前中はテスト返却をしたりしてから、成績処理や会議資料の作成などなど。午後は会議のあと、来年度の検診の予定作成やらトイレにハンドソープを設置しにいったりやらあれこれ。定時に退散。
 帰りの電車でスマホをいじっていたら、となりに座っていた若い男性二人の会話が気になりはじめる。役所関係の仕事をしている人たちらしいんやけれど、「マルタまで行ってな」「イマデにも行かないといけなくて」てなことを言うている。職場の話とラーメン屋の話をひたすら繰り返していて、あまり中身のない会話なんやけれど、そのうち「ゴジョーからマルタに行って」なんて言いだして、「マルタ」と「イマデ」がどうやら「丸太町通」と「今出川通」の省略形やということに気がついた。
 うーむ、私は京都で生まれ育ち30年ほど暮らしてきたんやけれど、こんな省略の仕方は初めて聞く。だいたいこれらは通りの名前なんで、地名として省略することはない。「河原町丸太町から烏丸丸太町まで行って……」みたいな使い方をする。「通り」という言葉は省略しても、「丸太町」とか「今出川」は省略しない。そのうちに違和感の正体に気がついた。「丸太町」も「今出川」も「五条」も、みんな東西に走る通りの名前なんやけれど、地名を示す時は前述の通り「烏丸通」や「河原町通」のような南北の通りと組み合わせる。そやけど彼らの会話には南北の通りの名前が出てこんのです。
 もしかしたら、これは京都地下鉄烏丸線の駅名のことなんやないか。それやったら南北の通りの名が出てこんのにも合点がいく。それでも私はこれらの駅名を「マルタ」とか「イマデ」なんて略したことはない。今時の若い人はそんな略し方をするのかな。大阪に移って25年以上たつから、京都の若者たちの日常会話を耳にすることはほとんどなくなったしね。そやけど、やっぱりそんな略し方は初めて聞くなあ。イントネーションが京都人特有のねちゃねちゃしたところがないから、かれらは京都育ちやないのかもしれん。彼らの職場は地下鉄烏丸線沿いにあり、移動はもっぱらその電車だけで、彼らの職場だけに特化した略語なのかも。
 今ではすっかり大阪になじんだ私であるけれど、根っこは京都人やから、そういう略し方はなんか田舎臭うていややなあ。親戚を呼ぶ時も「三条のおっちゃん」「上立売のおばちゃん」みたいに住んでいるところの通りの名で呼ぶ。それが京都式。間違うても「マルタ」とか「イマデ」なんちゅう呼び方はしません。
 というわけで、私の中では彼らは「田舎者」認定されてしもいました。差別的な表現やと思わはる方もいたはるかもしれんけれど、京都人というのは本質的にそういうように「都の人」と「田舎の人」を分けたがるところがあるのです。そういうところが京都の産である私でも嫌なところなんやけれど、今日は自分の根っこは京都人なんやということに気がつかされた次第。
 帰宅し、夕食後、ちょっと居眠り。どうも心身ともに疲弊してるなあ。

 12月20日(日)は、「たちよみの会」例会です。新型コロナウィルス感染症対策をした上で、多数のご参加をお待ちしています。第3波が来ているので、例会は13:00~14:30に短縮いたします。

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