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小公子(羽田詩津子・訳) [読書全般]

 今日から授業再開。いうてもすぐにまた土日の連休がくる。コロナ不安とあいまって、登校していない生徒も多いらしい。私は車椅子の生徒の付添が2時間あるだけなんで、あとはひたすら教材研究。ストレスマネジメントについて生徒に考えさせる教材の手直し。最初につくらはった方の元ネタの本がわからんのと、私が参考に購入したものと考え方がかなり違うので、難航しております。
 定時に退出し、帰宅後すぐに今日の「おちょやん」を見る。童顔の杉咲花さんがだんだん浪花千栄子さんに見えてくるから不思議。さて、このドラマはどういう終わり方をするんやろうか。着地点が楽しみになってきた。まさか「カーネーション」みたいなメタ構造みたいなラストにはならんやろうと思うけれど。
 夜は少しだけ読書。また仕事が始まったし、連休中みたいな「読み比べ」はもうしばらくはでけんやろうな。
 フランシス・ホジスン・バーネット/羽田詩津子・訳「小公子」(角川文庫)読了。まずは編集者にぼやきたい。何です、この帯の惹句。「NYの下町に住む少年が英国貴族の跡取りになって、幸せをつかむお話!」とあるけれど、じつはこの物語はほんまにそれだけの話でもあるのです。なんでこういうことをするかなあ。むろん裏表紙にあらすじも書いていてそこには祖父が「頑なだった心を徐々に開いていく」とあり、これだけわかればもう読まんでもええくらい。しかもカバー装画は原著とは何の関係もない「少年とウサギ」という絵を使用している。たしかに雰囲気は出てるけれど、セドリックは金髪の巻き毛が美しい少年なのに、表紙の少年は短髪。川端訳の新潮文庫版は山田章博さんに話にあわせたものを描いてもろうているし、土屋訳の光文社文庫版は古典文庫の統一フォーマットにのっとって少年と老人を少し抽象的な感じでデザインしている。こういう何の関係もない絵を表紙にするのは感心しませんな。
 訳文は幾分硬めで、ミステリ小説の翻訳なども手掛ける訳者らしさが出ている感じ。土屋訳の「最愛のきみ」は「大好きな人」と訳されていて、これは若い夫が愛する妻を呼ぶ言葉としては弱いんでないかなあ。セドリックは子どもなのであまり意味もわからず、自分なりの解釈で大人の言葉をそのまま使う。そこが愛嬌になっているんやから、私は土屋訳を支持したい。原著はもともと女性紙向けに連載された小説なんで、訳者もそれを意識して「大人のために書かれた物語」として訳したんやなかろうか。そう考えると、訳文の硬さも原著の文章の雰囲気を出すためやったのかもしれんなあ。
 というわけで、子どもには川端訳を、大人には羽田訳を薦めたい。そして、親子でともに読むには土屋訳を。三者三様、読み手のことを考えた訳業やったと、私には感じられた。

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