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澤田隆治の死 [追悼]

 愛すれどTigers「D戦G戦ともに通算2000試合」を更新しました。

 朝から雨。お山の学校の廊下はもともとつるつるしていて、今日は湿気で上書きしたようになっており、私は2度も尻もちをついてしもうた。1度目は荷物を持っていて、そのおかげで怪我らしきものはなし。2度目は右ひじでかばったんで、尾骶骨とひじの打撲ですんだ。頭を打たなんだのは幸いやった。
 その後は廊下を歩く時は一歩ずつ地面に垂直に力を入れるように歩いたけれど、ごっつ力がいってきつかった。定時に退散。帰宅後はしばらくどぶさっていて、それからゆっくりと相撲中継を録画で見る。照ノ富士は高安に辛勝。一番の難敵を下したので、ここからはすんなりといくのかな。3人の大関たちはなんとか照ノ富士を食い止める役割を果たしてほしいものです。
 テレビプロデューサー澤田隆治さんの訃報 に接する。享年88。
 「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」といったテレビコメディの黄金時代に朝日放送の演出家として活躍、東阪企画に移って「花王名人劇場」で2度目の黄金期を迎えて……なんて話は小林信彦さんの著書などで確認してください。
 私の笑芸に関する知識のベースは澤田さんの「私説コメディアン史」と香川登志緒さんの「大阪の笑芸人」です。まずこの2冊があり、そこに小林信彦さんの「日本の喜劇人」などが加わっていく。その中でも私が私淑しているのは澤田さんで、昔NHK「放送大学」で上方演芸史を講師としてとりあげはった時、通信講座のようにレポートを書いて送ったのです。最後には優秀な点をつけていただいた上に、御本人直筆のお手紙までいただいた。そして、在庫として持ってはった「花王名人劇場 笑人間 上」という大著を贈ってくれはった。もっと勉強せいよという励ましやったと私は今もそう思うている。
 直接話をしていろいろと教えてくれた師匠的な存在は新野新さんやけれど、それ以前に師と仰いだのが澤田さんやった。「日本芸能再発見の会」に講師として来はった時は、澤田さん編の昭和のラジオ漫才のCDセットを持っていき、ブックレットにサインをしていただいた。そこでNHKの講座の話をしたら、憶えていてくれはって、これもまた嬉しかった。
 私と澤田さんの直接の接点はそれだけに過ぎないんやけれど、それがどんなに大きかったことか。私が前任校で「なにわ芸能研究」という授業を担当し、生徒たちにエンタツアチャコの映画を見せたり、ダイラケやいとこいの漫才を見せたり、米朝の落語を聞かせたりしたのは、私と同じように演芸史に興味を持ってくれる生徒がいてくれたらという思いやったから。それは私がテレビとレポートで澤田さんとつながったことや、新野さんから直接聞いた話や、「再発見の会」で話を聞いた数多くの人たちの残してくれたものを、今度は私が若者に伝えたいと思うたから。
 澤田さんの放送界に残した功績は、ここには書ききれないものやし、それについては戸田学さんなど同年代の書き手に任せた方がええやろう。
 CDのブックレットに澤田さんは「恵存 澤田隆治」と書いてくれはった。しかし、私にとっての「恵」は澤田さんや新野さんやった。どれだけ感謝しても足りないくらいの「恵」やねん。
 謹んで哀悼の意を表します。

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