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ハル・ブリーデンの死 [追悼]

 だらだらと高校倫理「第14回 ソクラテス 2」を更新しました。

 新型コロナウィルス禍のもと、インターンシップ授業は難渋しております。幸い実習の始まった生徒もいてるんやけれど、ほとんどの生徒は待機状態。校内の清掃作業や、実習先で渡す名刺をパソコンで作成したり。緊急事態宣言延長というような状況下で来週は何をやらせるか、担当者で知恵を絞っております。もっとも私は初めての担当なんで、サブについてくれている経験者の先生方に頼りっぱなしというのが現状やけれど。
 1年生の授業で使うパワーポイントのスライドショーの作成が完了し、生徒に聴かせるヒーリングミュージックはサイモン・ラトル指揮ベルリンフィルの演奏で、マーラーの交響曲第5番第4楽章“アダージェット”を用意。ラヴェルの「逝ける王女へのパヴァーヌ」も捨てがたいんやけれどね。というわけで定時に退散。
 帰宅後はすぐに相撲中継の録画をできる限り早回しで見、夕食後は追っかけ再生でプロ野球中継をこれも1.5倍速で見る。他に何もできず。
 もと阪神タイガース内野手ハル・ブリーデンさんの訃報に接する。享年76。
 私が初めて甲子園球場に行った中学1年の時、その試合に出会った。池辺の一発に始まり、ブリーデンがどでかいホームラン。さらには中村勝、掛布、ラインバック、田淵の4者連続ホームラン。打たれた投手はカープの佐伯。もしブリーデンが続けてホームランを打っていたら、フライヤーズが作った記録に並ぶところやったけれど、交代した永本はまともに勝負できず歩かせてしもうたと記憶している。テレビ中継もなく、タイガースの球団記録となるような試合やったのに、どんな記念DVDにもこの試合の映像は入ってへん。
 ブリーデンは、田淵に続いてジャイアンツの王からホームラン王のタイトルを奪うんやないかというくらい打ちまくった。私の記憶では、同年に入団したラインバックはキャンプの最初から参加していたけれど、ブリーデンは吉田義男監督がこだわったために義理義のになってやっと合流したんやなかったか。その年のファンブックに掲載されていたブリーデンの写真はわずか1枚だけやったという記憶がある。
 それでもその腕っ節でホームランを量産。ナゴヤ球場で3打席連発なんてことをしたのをラジオで聞いた記憶もある。
 当時ABCラジオ「おはようパーソナリティ中村鋭一です」を聞いてから登校していたけれど、CMの前のジングルで、御本人が「ヤマヨリデカーイブリードゥン」というのを使うてたのも覚えている(元ネタは「山よりでかい猪はでん」という鋭ちゃんのモットー。それをもじって言わせたのでしょう)。
 当時「赤鬼」とあだ名される白人選手は多かったけれど、面構えと腕っ節ではこのブリーデン、スワローズとバファローズで活躍したチャーリー・マニエルが双璧やったんやないかな。そういえば最近はこういうこわもてのポパイみたいな外国人選手はあまり見ませんな。なんでやろう。来日3年目のシーズンに故障で退団したため、活躍した期間は短かったけれど、駆け出しのタイガースファンの少年にとっては、今も忘れられん外国人選手の一人であります。帰国してからは保安官をしていたなんて、ほんまいかにもブリーデンと納得したものです。
 謹んで哀悼の意を表します。

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