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ゼルキンとアバドのモーツァルト [音楽]

 今日は出勤日。毎週同じことを書いているけれど、月曜日は時間割がいっぱいいっぱいで非常にきつい。授業の合間に教材研究や教材作成をして、放課後は事務作業。予定通りに仕事をすませ、定時に退出。帰路、梅田で書店に寄ると林譲治さんの文庫新刊が出ていたので買う。林さんも精力的に執筆しているなあ。林さんの本も未読の分がけっこうたまってきているから一気に片付けたい。アニメなんか見ている場合やないぞ、ほんま。
 お山の学校に勤務している時は歩いている時間は短く、電車やバスに乗っている時間が長かったから車中での読書も進んだけれど、坂道の学校に転勤したら歩く時間が長くなり健康的ではあるけれど、車中の読書はあまりでけんのですね。
 帰宅後、読書の続きなど。夕食後もしばらく読書。相撲も野球もないから、こういう時期にたっぷり読んでおきたい。ただ、今日はへろへろなんで、読んでいるうちについうとうと。寝落ちまではいかんけれど、気がついたらもうこの日記を書く時間。やれやれ。
 ここのところ、毎日日記を書きながら聴いているのはルドルフ・ゼルキンのCDボックスセット。ほとんどがモーツァルトのピアノ協奏曲なんやけれど、これが思うていたよりもいい。ゼルキンの録音はこれまでほとんどベートーヴェンのピアノソナタや協奏曲しか聴いたことがなく、これがかなり私好みの演奏なんで気にいってはいたんやけれど、滑らかでかつ劇的な演奏スタイルでモーツァルト向きではないんやないかと思うてたんですね。やはり聴いてみんとわからん。非常に自然体で、滑らかなところに力点が置かれている感じ。これまでモーツァルトのピアノ協奏曲集といえばアリシア・デ・ラローチャやマレイ・ペライアを愛聴していたんやけれど、ルドルフ・ゼルキンもそれに加わった。若き日のダニエル・バレンボイムも悪くはないけれど、才気ばしったところがちょっと鼻につく。モーツァルトはあくまで自然体で演奏してほしい。ゼルキン盤はクラウディア・アバドの伴奏もいい感じで寄り添っている。アバドはフリードリヒ・グルダのモーツァルトでもええ伴奏をしているし、モーツァルト以外でもマルタ・アルゲリッチのチャイコフスキーなどピアノ独奏を引き立てるええ録音がようけ残っている。ヘルベルト・フォン・カラヤンなどはどうしてもオーケストラと独奏者が張り合うているような感じになってしまうから、聴いていてうっとおしかったりするけれど、アバドにはそれがない。協奏曲はアバド伴奏に限る、とまでは言わんけれど、アバドが独奏者をひきたてるええ指揮者やということだけは言えると思う。こんなたわごとを書いてんと、演奏に浸っていればええんですけどね。

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