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県知事のクレーム [テレビ全般]

 別にね、NHKは町おこしのために大河ドラマを作ってるわけやないのよ。
 兵庫県の井戸知事は何を勘違いしたのか「『平清盛』の画面が汚すぎる」と第一話を見てクレームをつけたんやて。平清盛が福原(タイガースの投手に非ず。わかるか)に都をおいたことから、観光客を呼び込めると期待しているらしい。たしかに視聴率はよくなかったらしいけれど、まだ第一話ですよ。それに、土ぼこりが舞っているのは京の都の場面やないですか。
 いわばリアリティを出すための演出として、わざと汚くしているわけで、それが証拠に白河院の屋敷やら鳥羽帝の庭園なんかは美しいもんやないですか。
 県知事はどこを見とったんかいね。じっくり見てたらわかりそうなもんやのに。ぱっと一場面だけ見て「これでは兵庫県のイメージダウンになる」なんて思うたんかねえ。しかも「もっときれいにしてほしい」とNHKに申し入れるとは念がいっている。
 大河ドラマを観光客を呼ぶ材料にするのは県知事の勝手でしょう。それにNHKがつき合う義理はないと思うし、ましてやわざわざクレームをつけるなんて愚の骨頂やないですか。
 身勝手な首長というたら大阪市長と東京都知事が思い浮かぶけれど、兵庫県知事もその仲間入りかいな。やれやれ、権力者というのは度し難いもんなんですなあ。

 1月15日(日)は「たちよみの会」例会です。今月は新年会を予定しています。ご参加をお待ちしています。新年会のみの参加も大歓迎です。

ふたつの「民意」 [時事ネタ]

 大阪で原発稼働の是非を問う署名が一定数集まったので住民投票ができるようになったんやそうです。普段から「民意」を強調する市長さんは「我が意を得たり」と言うかと思うたら、「原発反対は自分でやる。住民投票をしたら約5億円の金がかかるからやらないほうがよい」てなことをおっしゃっております。
 彼の言う「民意」は、自分と自分の一派への投票のことだけをいうのでしょうか。署名は立派な民意です。住民投票こそ代表を選ぶ選挙よりもはっきりと民意を反映するものです。デマゴギーにより作られたポピュリズムではなく、大衆の中から発生したポピュリズムです。そして、一部の利権に対抗できる大衆の要求は、後者のポピュリズムによって実現されるのです。
 彼は何を恐れているのでしょう。大衆の中から自然発生する「民意」が、彼の権力をおびやかすという恐れなのでしょうか。そこらあたり、私にはわかりません。
 ただ、住民投票によって原発停止の要求が通った場合、彼の手柄が一つ減るということだけは確かです。「脱原発を達成した地方首長」という勲章を彼がもし求めているのならば、住民投票など邪魔な存在となるだけですから。
 果たして彼の真意は何処にありや。

 1月15日(日)は「たちよみの会」例会です。今月は新年会を予定しています。ご参加をお待ちしています。新年会のみの参加も大歓迎です。

新成人への「社説」 [季節ネタ]

 ピンとこないけれど、ハッピーマンデー成人の日であります。むりやり月曜日に祝日を作ったのに景気は一向に上向かんというのなら、ぼちぼち元に戻したらどないだ。
 それはともかく連休最終日も完全休養。これで明日からの授業再開に万全の態勢で臨める……かどうかはわからん。まあ生徒も休み明けですから、ぼちぼちと。
 それはそうと、昨日と今日の各新聞の社説は新成人へのメッセージがずらりと並び、おっさん連中(私よりも少し上の世代、かな)がわかった風なことを書いていて、読み比べると非常に面白かった。
 曰く「世のため人のために生きなさい」。曰く「今はくらいが明るい未来は君たちの力で作りなさい」。曰く「尾崎豊の歌を理解でけんとはなにごとか」。
 私の場合は仕事がら若者たちと毎日接するというのを20年以上続けているから、その時々によって気質がそれぞれ違うことがわかるし、それに一律同じような訓示を垂れることの無意味さも知っている。
 さてさて各新聞社の論説委員さんたちはどれだけ若者に接した上で書いているのか。朝日新聞の「尾崎豊」うんぬんはまだ接した上で書いているだけましというもの。産経新聞の「世のため人のため」のうさんくささは耐えがたいものがあるなあ。
 そして一番わかってへんなあと思うのは、新成人のほとんどが「社説」なんて欄をちゃんと読んでいるかどうかということですわ。「時事問題」の授業をここ2年担当している経験からいうと、「社説」をちゃんと読んでいる人は(大人でも)それほどいてへんのやないかと。そんなところで新成人たちに説教しても届いているかどうか。
 あ、読まれてないことを前提に好き勝手書いているのかな。それなら理解でけんこともないな。

「平清盛」始まる [テレビ全般]

 今日は大河ドラマ「平清盛」第一話を見る。なにしろ1年間「江」でどっひゃどっひゃと毎回驚かされていただけに、今年は心が平穏になるものを見たい。
 冒頭、源頼朝と北条政子が登場し、平家滅亡の報を聞くところから始まる。そして頼朝が歴史を解説するという形のナレーションで物語が進行する。
 ええやないか。理に叶うとる。死んだ母親の亡霊が娘たちについて語るという昨年のオカルトナレーションよりもずっと自然。これは「龍馬伝」で岩崎弥太郎の回想という形のナレーションを採用したのを踏襲しているということか。そういうたらまずラストシーンみたいなところから始まるのもやたら埃まみれな映像も「龍馬伝」を意識している感じやな。
 今回の主役は平清盛やなく父親。かつて「武田信玄」で主役を演じた中井貴一が好演。ただ、私としては平安朝の気持ち悪いおっさんたちが気に入った。関白に國村隼、白河院に伊東四朗というあたりのキャスティングがよろしいな。特に伊東四朗さんが冷酷で非道徳的な怪物ぶりをみごとに演じきっているのが印象的。こういう芝居を見られるのなら、今年はまず大丈夫でしょう。
 白河院の愛妾役で松田聖子さんが出てるけど、アップになってもお肌つるつるぷりぷりなのには参った。私と同い年(学年は一つ上)とはとても思われん。これはこれで怪物ぶりを発揮しているといえるかも。
 てなわけで、今年の大河ドラマはどうやら毎週楽しく見られそうです。もっとも、主役の松山ケンイチはまだちゃんと出てきておらんのやけれど。

固有名詞の読み方 [トリビア]

 大相撲小言場所「平成二十四年初場所展望~稀勢の里は横綱になれるか~」 を更新しました。

 今日は所用で京都へ。ほんまは3日連続完全休養といきたいところなんやけれど、去年から入れていた予定なんで仕方ない。
 帰りの阪急電車の特急は京都観光使用車両やった。車内アナウンスもふだんの日本語のアナウンスだけやなく、韓国語、中国語で同じ内容のアナウンスを流している。
 韓国語は、停車駅や終点駅の名前だけは日本語そのままで言うけれど、中国語は違うんやね。「梅田」を中国読みにしてアナウンスしている。
 これって、例えば毛沢東のことを日本では「もうたくとう」と読み、決して「マオツオトン」とは言わんのと同じことなんかなあ。かねてから不思議に思うてたんやけれど、「北京」「香港」「上海」は「ほっけい」「かこう」「じょうかい」と呼ばず「ペキン」「ホンコン」「シャンハイ」と読むのになんで人名は「もうたくとう」「しょうかいせき」「そんぶん」なんやろうなあ。
 固有名詞はなるべく現地での読み方に準じるべきやないかと思うし、中国語の車内アナウンスでも「梅田」は「うめだ」と読んでほしいなあ、なんて考えながらアナウンスを聞いていたのでありました。

土産つき会議漬け [日常生活]

 本日、仕事始め。一日中何会議、其会議、此会議と会議が立て続けにあり、いささか疲れる。会議漬けの一日であります。少人数の会議では、正月休み中に旅行に行った方々がお土産のお菓子をもちこんでくれて、片っ端から食す。
 鹿児島、広島、韓国、モロッコ等々。私がだらくさと寝正月を決め込んでいる間、みなさん精力的に外出してはります。元気やねえ。まあリフレッシュにもいろいろと方法がありますから。
 もっとも私も京都の実家に帰ってるわけやけど、そやからというてわざわざ八ツ橋を買うたりなんてことをしても、「おお、八ツ橋!」と珍しがられたりはしませんわなあ。まあ、八ツ橋好きな方は喜ばはるかもしれんけれど。
 というわけで、各地のお菓子をがつがつと食い散らかしながら会議に出ていたのであります。どこのお菓子か忘れたけれど、とても柔らかいマシュマロをチョコレートでコーティングしたのが一番おいしかったかな。
 韓国土産の煎餅を食べたら、あきらかに「おにぎりせんべい」の味がした。せっかく煎餅に刻み海苔をまぶしてあるんやから、韓国らしく胡麻油の香りでもしてくれたらと思うんやけれど、甘口のしょうゆの味しかせなんだぞ。
 こんなことばかり書いていると仕事をしてへんみたいやね。なんともはや。

鈴子の恋 [テレビ全般]

 今日は珍しく「昼ドラ」を見る。
 大石静さんが脚本を担当してミヤコ蝶々さんの生涯を描くという「鈴子の恋」というドラマの第一話。まあ、手練れの脚本家の仕事やからハズレということはなかろう。ただし、何分「昼ドラ」でありますからして、用心してかからねばなるまい。
 で。
 けっこういける。低予算のためと思われる粗漏はなくもないけれど、まあそれは許容範囲。私が各種資料で読んだり蝶々さんが生前にテレビ番組で語ったりしているのと幾分違う点もあるけれど、これは「昼ドラ」という枠で精一杯面白く見せるための潤色といえる部分やから、まあ許容範囲でしょう。大河ドラマでももっとむちゃくちゃなのがあるんやから、それに比べたらちゃんとしてますよ。
 というわけで明日からも録画しておいて帰宅後に見ることにしましょう。ただ、毎日30分という分量なんで、一日でもさぼったらばかばかとたまっていきそうやから、その時間の捻出が大変やろうなあと思うけどね。
 それにしてもミヤコ蝶々さんの生涯というのはドラマにしたい一級品の素材なんやなあ。舞台では沢口靖子さんと戸田恵子さんがそれぞれ別な趣向で演じているし、たしか2時間枠の単発ドラマでもやっていたという記憶がある(見てへんけど)。
 私も生で舞台を見に行ったことがあるけれど、あのミヤコ蝶々さんの独特の魅力迫力は他に真似のでけんもんがあった。それをどう描きだしていくのか、たのしみ。途中でリタイアしないように、休日も活用して見ていこう。ああこれでまた見るテレビ番組が増えたやないですか。

寒風初詣 [季節ネタ]

 今日明日は休暇を取って鋭気を養う。午後から妻といっしょに駅前の神社に初詣に。
 今年は体調を整えて教員の仕事以外のあれこれもなんとかやりたいものであります。というわけで、拝殿。それからおみくじを引く。
 末吉。
 うーむ、微妙であるなあ。しかも失せものは見つからず待ち人は来たらずとろくなことしか書いてない。妻もあまりええことが書いてなかったので、二人して枝に結びつける。引き直しはせず。
 粉雪は舞うし風は強いし、駅前の書店で漫画「ブラック・ジャック創作秘話」などを買うてから帰る。帰宅後、一気読み。あまりに密度の濃い手塚先生の仕事ぶりに圧倒されて、読了後へとへとに。そのまま午睡する。
 私が寝ている間、妻も一気読み。そしてやはりへとへとに。まあ、寒風吹きすさぶ中うろうろ歩き回ったから疲れたということもあると思うけどね。

ポピュリズムについての記事 [時事ネタ]

 今日の朝日新聞朝刊に、ポピュリズムに関する考察みたいな記事が載っていたので、興味を持って読んでみたけれど、なんや煮え切らん内容。例えば橋下市長と大阪維新の会についてとりあげるにしても、もっと鋭く切り込んでほしいところやのに、なにやら腰が引けたような感じに読める。
 つまり橋下式政治手法をポピュリズムとしたいんやけれども、そう決めつけると公平さを欠くと思うたんか信者の方たちからのメールが怖いんか、批判はでけんというような煮え切らなさが見える。
 つまり、これはある意味読者におもねっているようにも読めて、これこそがポピュリズムやないかと思う。つまり、ポピュリズムに関する解説をした文章そのものが図らずもポピュリズムそのものをあらわしているというところか。
 この二重構造多岐な記事を意識的に書いたとしたら、素晴らしいテクニックと称賛したいところなんやけれど、まあそんなことはないやろうね。
 もっとも橋下的政治手法はポピュリズムではなくデマゴギーやと指摘する人もいてるから、そういう人から見たら今朝の記事なんか的外れやということになるんやろうね。
 私もデマゴギーやと思うてる。ポピュリズムについては山口二郎さんの「ポピュリズムへの反撃」(角川oneテーマ新書)を読めばその定義や是非について基本的なことがわかるから、そちらをご参照ください。

ヤンソンスのウィンナワルツ [音楽]

 昨日は実家に帰っていたので、例年のごとく1日遅れで「ウイーンフィルのニューイヤーコンサート」を録画で聴く。
 今年の指揮者はマリス・ヤンソンス。ニューイヤーには2度目の登場。前回はやたらきちっと振っていて面白みのないウィンナワルツやった。そやから今回もあまり期待してなんだ。
 ところがですね、これがなかなかよかったのですよ。2度目ということもあってかかなりこなれた感じ。ちょっとばかしリラックスした雰囲気を感じた。演目は前回同様ニューイヤーコンサート初という曲目が多かったんやけれど、ロシア出身ということもあってシュトラウスのロシアでの演奏会で初演された曲やらチャイコフスキーのバレエ曲やらをとりまぜ、興味深いプログラムになっていた。
 特にシュトラウス一家のライバルと目された作曲家やデンマークでシュトラウスばりのワルツを作曲していた作曲家の曲をとりあげるなど、けっこうマニアックな選曲も。
 ニューイヤー恒例の指揮者の遊びは「鍛冶屋のポルカ」。指揮台の横にかなとこを置き、金づちを両手にもって指揮をする。手が滑ったら危ないがな。かなとこを叩くテンポが微妙にずれて、あとからCDで聴いたら具合悪い演奏になってると思うんやけれど、映像を見ながらやとなかなか楽しい。
 定番の最後から二番目の曲目になるワルツはヨーゼフ・シュトラウスの「うわごと」。カラヤンがお気に入りでベルリンフィルとの録音でも必ず曲目に入れていたけれど、あまりメインにすえられることのない曲。これを最後の盛り上がりにもってきたあたり、どちらかというと渋いプログラムですなあ。そこらあたりがヤンソンスらしさなのか。
 というわけで、期待してなかった分、とても得したような気分になれたええ感じのニューイヤー・コンサートでありました。