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三代目桂春團治の死 [追悼]

 上方落語四天王最後の一人、三代目桂春團治師匠の訃報に接する。享年85。死因は心不全。
 豪快な六代目松鶴、知の人桂米朝、はんなりの小文枝、そして「粋」(“すい”と読んでください。江戸前の“いき”とは別物です)な三代目。「上方落語四天王」の絶妙なバランスが、滅びる寸前とさえ言われた上方落語を復活させた。
 そんなもん、私が書かんでもみんな知ってますな。
 初めて生で三代目の高座を見た時は「いかけや」。大学の学園祭やったかな。京都の市民寄席で二度目に見た時も「いかけや」。次に見た時も「いかけや」。私は生涯「いかけや」以外に三代目の生の落語は聞かれんのかと思うたくらい。
 でもね、その三度とも同じように面白かった。最初、「いっぱいのお運び、御礼申し上げます」と静かに入り、まくらに小話「桃太郎」を振ってから、おもむろに鋳掛屋の親父に悪態をつく悪ガキどもを演じ分け……。うなぎ屋に仕掛けるいたずらは気にいらなかったんやろう、鋳掛屋の起こした火を小便をかけて消すところで切るやり方もよかった。
 あ、この調子で「祝いのし」も「野崎詣り」も「皿屋敷」も「親子茶屋」も「高尾」も「お玉牛」も全部書いてしまいそうやなあ。
 品があった。ガラの悪い言葉も、三代目の落語では下品に聞こえなんだ。高座にかけるネタはほんまに少なかった。そやから何度も同じネタを聴くはめにもなったわけやけれど、その度に笑わせられるのは、まさしく芸の力やったと思う。聞くたびに演出が違う、というわけでもなかったのにね。
 最後に生で聞いたのは、前任校の芸術鑑賞会に出演していただいた時、ネタは「道具屋」。前座ネタも名人の手にかかると爆笑落語になる。
 吹田メイシアターが会場やったけれど、鑑賞会が終わり、阪急吹田駅のホームに入ったら、奥様といっしょにベンチにちょこんと座ってはった姿を今も思い出す。
 落語以外の仕事はほとんどしてはらへんけれど、唯一の主演映画「そうかもしれない」では認知症の妻(雪村いずみが好演!)を介護し、自らの癌に気づかず弱っていく頑固な作家を見事に演じ切った。泣きながら立ったまま小便を漏らす妻と、その小便を顔で受ける三代目。そんなすさまじいシーンを淡々と演じ切ってはった。
 羽織の脱ぎ方、所作の美しさ、書きだしたらきりがない。
 これで四天王すべてが鬼籍に入った。冥土筋の演芸場で、ぜひ四人会を開いて亡者たちを楽しませてください。
 謹んで哀悼の意を表します。

 1月17日(日)は、「たちよみの会」例会です。人数が集まれば新年会をしたいと思いますので、多数のご参加をお待ちしています。

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