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救急車からの電話 [日常生活]

 さすがに週末となると出勤するだけで「ようがんばった」という気分になる。
 今日は一日事務作業。プリントアウトの作業すらおっくうになっている。新入生の中学校へ連絡をとって引き継ぎ事項の確認をし、それを校内LANのファイルに打ちこんだりしていたら、スマホに電話。妻からの着信なんやけれど、いつもやったらLINE電話やのに、通常の電話回線を使用している。
 何かあったんかとつなぐと、男性の声で、「喜多さんのご主人ですね」と確認してくる!
「はい、哲士はわたしですが」
「奥さんが自転車で転倒して、救急車で病院に……」
 一瞬、頭が真っ白になったけれど、気を取り直して話を聞くと、妻は意識はあって話も通じているとのこと。搬送される病院の名を告げられる。帰路の途上にある病院で、行ったことはないけれど場所はだいたいわかる。
 すぐに時間休をとり、バス停へ急ぐ。バスは出たばかり。地元のタクシー会社に連絡して配車を依頼し、乗り継ぎの駅まで急ぐ。ちょうどホームに電車が入ってきたところで、すぐに乗車。気持ちはせくけれど、電車が駅に着くまではどうすることもでけん。本を開いても内容が頭に入るわけでなし。スマホを出してソリティアをしたりして時間つぶし。こういうときはこういうゲームで気を紛らすしかない。
 目的の駅で下車する。今日は非常に温く、上着を脱いで、スマホの地図を使いながら病院へ。気が動転してたんでしょうな。夜間受け付けのインターホンのボタンを押してとりついでもらおうとする。
「正面玄関は開いてますのでそちらからお入りください」
 そんなことにも気がつかんというような精神状態やったんですなあ。病院に入って受け付けを探すと、ロビーのソファーに妻が座っていて「こっち」と声をかけてきた。
 どっと疲れが出るのがわかる。よかった。入院せんならんほどの大怪我やなかった。ただ、転倒した際に唇を切り前歯を折り顔はずるむけになり、救急車は来るパトカーは来るタクシーは通り過ぎる消防車は車庫に入ってるというような状況やったとか。
 頬に貼られたガーゼが痛々しい。
「私、今どこの病院にいるの?」
 救急搬送されたんやからわからんのは当たり前。帰りは目印を指し示しながら歩く。自宅までがどんなに遠く感じられたことか。それでも無事帰宅して、一息入れる。妻は水分をとるのにも苦労している。ストローでお茶を飲むんやけれど、それでも口の中を切ったんやろう、しみて痛いという。唇は何針か縫ったとのこと。来週、抜糸で再度同じ病院に行くことになっている。
 私は冷凍食品のそばめしを電子レンジで温めて夕食をとる。やっとほっとしたんやろう、疲れと眠気が同時に襲ってきたので、ひと眠り。歩きに歩いて汗をかなりかいたせいで、その汗が冷えて寒い。布団にくるまるとましになった。で、今さっき起きてきてこの日記を書いている。
 妻の自転車は車道から歩道に乗り上げる時のわずかな段差の角度が悪く、すべるように転倒したらしい。そのほんのわずかな角度の違いでここまでの騒ぎになるんやから、ほんま怖い。親切な方が救急車を呼んでくれてよかった。人の親切が心にしみるなあ。妻は2度ほど記憶が飛んだという。ショックで失神したのかもしれん。ショック症状というのもきつかったら命にかかわることもある。その程度ですんでよかった。
 ただ、ものが食べられへんのでそれが辛いようです。
 私は土日と連休。家にいて妻の様子を見ていられる。もし当たりどころが悪くて何か症状が出たらすぐに動ける。
 今、妻は私と同じ部屋でいつもと同じようにテレビを見ている。それがどんなに幸せなことか、身にしみて感じるのです。

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コロナ後遺症? [日常生活]

 今日も朝は特にしんどくもなかったので、通常通り出勤。午前中は事務作業。インターンシップの生徒が育児問題について講義を受けている写真を探したけれど見つからず。これはもう一人の担当の先生に明日尋ねることにする。
 午後からは昨日の日記にも書いた冊子のプリントアウトでほとんどつぶれる。光沢紙にカラー印刷するので、思いのほか時間がかかる。コンピュータ教室で情報科の先生と雑談。SFも読まはる方で、なんでも新作の方の映画「デューン 砂の惑星」を見にいかはったそうで、その感想などを聞いたりする。残念ながらこの先生は来年度転勤しはるので、そんな話のできる人がいなくなるのは寂しい限り。
 プリントアウトに時間がかかったのと雑談が楽しかったのとで、退出は定時より1時間弱遅れる。帰宅してしばらくスマホをいじったりしていたら、すぐに夕食。
 食後は本を読んでいたんやけれど、気がついたら寝ていた。実はコンピュータ室で情報科の先生から「喜多さん、息を切らしてるよ」と指摘されて初めてわかったんやけれど、午後の時点でかなり疲労が蓄積していたみたい。コロナ前よりも疲労しやすくなっていて、これまでなら出勤3日目の場合、授業があってへとへとになっていたけれど、今みたいに自分のペースでゆっくり仕事していても午前中でかなり体力を消耗していることがわかった。さらに帰宅してからの疲労度も倍近いものがある。全身筋肉痛やら動悸やらもそうやけれど、これもコロナ後遺症なんやろうかね。
 来年度はほんま、実習の担当などは体力的にも無理やろうなあと思う。
 というわけで、今日は特記するようなことはなし。さて、明朝はどれくらい疲労回復しているやろう。一応出勤予定なんですけどね。

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捕らぬヒトラーの皮算用 [日常生活]

 今朝はそれほど調子が悪くなかったので、普通に出勤。お山の学校もそれほど寒くなく、仕事をするにはええ感じの気候。
 来年度のインターンシップ選択の生徒への呼び出し状などの作成をする。来週の終業式のあと、生徒たちを集めて実習先の希望をきくことにしている。それを来年度の担当者に渡し、実習先を決めてもらおうという算段。できればこの春休み中に決められる生徒がいてたらええなあと思う。そのためには私が一汗かかねばならんのやけれど。
 できれば来年受け持ちたい「映像で見る社会」という授業のために、見せる映画をリストアップしてみる。歴史をテーマにしたものや、人権問題をテーマにしたものなどを探す。むろん見たことのないものも多々あり。まだその授業を持つと決まったわけやないので、候補作を見ておくなんてことはしません。そういうのは4月になって持ち授業が決まってからにしましょう。
 でも、こういうプランをたてるのは楽しいものです。例えば、ヒトラーをテーマにして、まずは「映像の二十世紀」でほんまもんのヒトラーの演説の場面やホロコーストの不映像を見せておく。で、チャップリンの「独裁者」を見せる。ヒトラーへの風刺喜劇の次は、シリアスに「ヒトラー最後の十二日間」を見せる。独裁者が追いつめられた時の狂気と悲劇を見せておいて、締めに「帰ってきたヒトラー」を見せる。21世紀に転移してきたヒトラーがものまね芸人と間違えられて人気を博し、そのうち視聴者たちがヒトラーに魅入られていくという、独裁者を生み出す大衆心理の怖さを感じさせる、てな具合。もっともこれだけしつこくヒトラー見せられて生徒たちが辛抱できるかどうか、ですけどね。
 とはいえ、持てるかどうかわからん授業の計画ばかり立ててはいられん。捕らぬ狸の皮算用、ということにもなりかねん。
 新型コロナウィルス感染症に罹患したために10日間の自宅隔離ということになったのはこの日記でも書いたけれど、その間、仕事にブランクができた。ほんまやったらインターンシップの生徒たちが作った冊子の印刷と製本は終わってるはずなんやけれど、中断したままになっている。そろそろ再開したいし、残り時間はその準備をする。
 定時に退散し、帰宅。そこそこ温かったので、けっこう汗をかく。帰宅してベランダで風にあたると、汗が冷える。くしゃみや鼻づまりで苦しむ。夕食後は少し読書。パソコンに向かうと、ネットが切断されている。実はここのところ30分くらい切断されるという現象がほぼ毎日起きている。30分たてば、接続されるので、その間にこの日記を書いているんやけれど、ちょうど1年前にもたびたび切断されて難儀した。モデムを交換してあれからは早々切断されることはなくなったのになあ。現在使用している回線は5月末で停止されることになっているので、そろそろ別の会社と契約した方がええ時期に来ているのかもしれんね。

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十日間の不思議 [読書全般]

 今日は動悸などは治まっていたので、普通に出勤。会議の記録係など、予定されていた仕事を無事こなす。午後からはもし来年持てたらええなという仕事のため、映像作品のDVDなどを検索したりする。他にしたい仕事もあったけれど、それは明日以降にまわすことにする。
 定時に退出し、帰宅後は少しばかりスマホで遊んだりする。食後は読書。適当なところで閉じるつもりやったけれど、一気に読んでしまう。面白い本というのはそう簡単に閉じられない。こういう感触、久しぶりやなあ。
 エラリイ・クイーン/越前敏弥・訳「十日間の不思議」(ハヤカワミステリ文庫)後期クイーンの傑作の新訳版。記憶喪失に苦しむ友人のため、クイーンは「災厄の町」であるライツヴィルを再訪。そこで友人の父の若い妻と出会う。そこでクイーンは友人が富豪である父親の養子であることや、父親の妻もまた歳の離れた夫の援助で育ったことなどを知る。さらに、友人と父親の妻が不倫関係にあったことや、その証拠である手紙が盗難され、二人が強請られているという事件に関わることになる。口止め料の受け渡しを手伝う羽目になったクイーン。早くこの町から離れたいと思いながらも、その推理力で殺人事件が起こることを予見するが……、という話。物語半分以上が友人とその家族の間に横たわる複雑に絡み合った感情や心理を描くことに費やされている。名探偵が事件に巻き込まれてしまい心ならずも盗難事件に加担してしまうなど、それまでのエラリイ・クイーンにはあまりない葛藤が綿密に描かれ、それが謎の真相の伏線になっており、しかも事件が解決されたかと思われたのに、さらに奥深いところに真相が隠されているという凝った作りに感嘆。
 ただ、私は事件解決の際になぜかクイーンが触れなかった部分があり、おかしいなあと気付いた時点で、二重に隠された真相に気づいてしもうた。「国名シリーズ」に見られるような隙のないトリックと謎解きと比べると、その点では若干甘い部分ではあるけれど、作者自身、わざとそうしたんやないかという気もする。本作は謎解きそのものよりも、エラリイ・クイーンという名探偵に人間らしい肉付けをする試みやったんやないかな。
 謎解きと、小説としての深みを両立させるために作者のクイーンたちはかなり苦しんだということが解説にて明かされているけれど、確かに本作はそれまでのクイーンの殻を破ろうという試みやったというのは読んでいて強く感じられた。ここで仕掛けられているテーマを書くとネタバレになるのであかすことはでけんけれど、ミステリ史上でも非常に恐るべき犯人やというにとどめておきます。新訳で再発売してもらえたのはありがたい限り。まだまだ絶版になってるクイーン作品は多数あるので、もっともっと復刊してほしいものです。

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息苦しさと動悸 [日常生活]

 昨日寝る前、急に息苦しくなってきた。胸のあたりにもやもやができて、それが辛い。一晩寝てから、朝に様子を見ようと床についたけれど、動悸が響いてくるように感じられ、何度も深呼吸したりしていたからなかなか寝つかれへん。それでもしばらくしたら就眠したけれど、アラームで目覚めた時は明らかに寝不足。眠い。息苦しさは多少ましになっていたけれど、動悸はまだ強く感じられる。とりあえず朝食をとり、いつでも出勤できるように準備してから血圧計で測ってみたら、血圧は通常と変わらなんだけれど、脈拍は100を越していて、このまま出勤しても仕事にならんことは明らかやったので、休みをとることにした。もう一度床につき、ひと眠り。教頭が出勤しているあたりの時間にアラームをセットして、起きてすぐに欠勤の連絡をする。息苦しさはほとんど治まり、動悸もそれほど強く感じられなくなった代わりに、肩から背中かバリバリと硬く、痛い。胸に来ていたナノ怪獣シン・コロナが背中に移動したという感じか。
 というわけで、今日はほとんど寝て過ごす。妻は日帰り帰省をせんならんので、妻を見送ったあと軽く昼食をとり、午睡。夕刻、妻から帰宅するという連絡が入り、それに合わせたように起きる。スマホをいじりながら帰りを待ち、妻の買うて来てくれたスーパーの寿司で夕食。
 市販の風邪薬を飲んだらかなり楽になってきた。コロナの後遺症かなんか知らんけれど、ちょっとした鼻風邪でも、体に強いダメージを与えるようになっているという感じがする。医者に診てもらうほどきつくならなんだけれど、昨日の寝床では、もしかしたら、ここで寝たら明日の朝はずっと起きられんようになってしまうんやないかと急に怖くなったり、いらんことばかり考えてしまうんですね。
 最近は男性更年期ということがよく言われているけれど、もしかしたらそういう時期なのかもしれん。この1年はめっきり疲れやすくなったし、そのせいで自分でも気付かんうちに居眠りしてしまうこともあって、それで何度も非難を浴びた。ほんま、今日みたいにはっきりと症状となって出てくれたら思い切って休めるからええけど、そこそこ仕事ができる状態なだけに始末が悪い。明日はなんとか出勤できそうやけれど、出勤したところで仕事にならんのやないかという不安があるなあ。

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ドンブラザーズ [テレビ全般]

 寒い一日。完全休養日につき、例によって午前中はテレビ漬け。今日から新番組「爆太郎戦隊ドンブラザーズ」が開始。先週までの「ゼンカイジャー」と違い、戦隊メンバーはこれまで通り若い役者を起用している。おそらくコロナ禍のもとでの感染防止をしながらの撮影の方法が定着したんやないかと思われる。「ゼンカイジャー」が香村純子さんが思い切り楽しんで作っていた感じなのに対し、今回の「ドンブラザーズ」はベテランの井上敏樹さんが久々にメインらしく、ごくオーソドックスに戦隊メンバーを一人ずつ紹介していくような入り方をしている。誰が敵だか味方だか、敵のボスは誰だかわからんところとか、次回への引きのうまさとか、ベテランらしい作り。黄色の女の子が主役みたいな始まり方なのは異色やけれども。シリアスな路線で行くのか、逆に一気にはじけるのか、今後の展開が楽しみ。
 昼食後は午睡。夕刻起きてきてスマホをいじったり、本を読んだり。夕食後は妻と羊羹についておしゃべりしたり(食後に、この前の法事のお供養の虎屋の羊羹をいただいたのです)して過ごす。今日いただいたのは一口サイズの羊羹やったけれど、昔は竿ものの太くて長いものやったから切り方が難しかった、なんて話です。
 その後少しばかり読書。読み始めたら止まらんのやけれど、切りのいいところまで行くと一息つくようになった。まだ体力が回復してへんのか、歳のせいかはわからんな。

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関取になれなかった男たち [読書全般]

 例年やと3月の第1土曜は合格者説明会で休日出勤しているんやけれど、今年は行かんでもよい。これまでは奨学金の説明やら保健室関係の説明などをせんならんかったからね。今年は下っ端に戻ったんでご用はなし。
 そのかわり、月例の京都の医者行き。先月は新型コロナウィルス感染症が発症したため電話診療、薬は郵送。今月は診療代も薬代も2ヶ月分いっぺんに支払いということになりました。
 日中ぬくかったこともあってか、あるいはコロナの後遺症か、医者との往復もこれまでよりもしんどい。帰宅してすぐ午睡。夕刻起きてきてスマホをいじったり本を読んだり。夕食後妻と世界情勢について語り合う。嘘じゃありゃせんほんまじゃで。
 佐々木一郎「関取になれなかった男たち」(ベースボール・マガジン社)読了。幕下以下の相撲は面白い。三段目あたりやと、これから上を狙う若い力士と、ちゃんこ番が本業になってるような大ベテラン力士が対戦したりする面白さがあるし、幕下上位やともうあと少しで関取になる力士たちがあと1勝にすべてをかけてぶつかりあう。幕内上位の力士が三役になるよりも、十両上位の力士が幕内に上がるよりも、幕下上位の力士が十両に上がる方が難しいと言われるけれど、確かにそうなんです。幕下以下の力士は一場所7番しか取組がない。勝ち越したら大きく上がるし、負け越したら大きく下がる。15番取る関取たちは、負け越しても1枚下がるだけやったりするのに。
 本書の著者は日刊スポーツの記者。幕下筆頭まで行きながら、十両に上がれずに終わってしまった力士を6人ピックアップし、どういう状況で十両目前で阻まれたのか、関取になるのをあきらめて角界を去る決意をしたきっかけは何か。そして土俵から降りた後の人生はどのようなものか。6人6様の相撲人生を描きだす。番付は生き物というが、十両から陥落してくる力士が少なかったためにチャンスを逃したものもいれば、関取の引退届が番付編成のあとやったために空席ができずチャンスを逃したものもいてる。大横綱白鵬などは本来なら関取に上がれる成績やなかったけれど、公傷制度廃止に伴う関取の人数増加措置のおかげで幸運にも関取になれた。たぶんそれがなくてもすぐに関取になっていたかもしれんけれど、本書に登場する力士たちと同じ運命をたどっていたかもしれん。
 髷を落とした後、世話人として協会に残った人もいれば、料理の修業をしてちゃんこ鍋の店を開いた人もいる。マッサージ業で成功をしている人、トラックの運転手になった人。彼らには何が足りなかったのか。ほんのわずかなことが運を呼び寄せたり運から見放されたりする人間模様。なんとも奥が深く、味わい深い本だろう。幕内上位のことしか関心のない相撲ファンでも、いや、相撲に関心のない人でも、この人間ドラマにはいろいろと感じてもらえるはずやと思う。印象に残ったのはトラック運転手をしているもと緑富士の言葉。
「本当に俺は相撲をやっていたのかなと思うことがあります。夢を見ているような感じですよね」

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卒業式の音楽 [季節ネタ]

 今日は卒業式。そして、父の祥月命日。新型コロナウィルス感染症発症からちょうど1ヶ月。私にとってはいろいろな思いがつまった日となった。
 というわけで、去年に続き今年も体育館の上のギャラリーで生徒指導。卒業式が始まるまでにかかっていたのはバッハのヴァイオリン協奏曲。卒業証書授与のBGMはパッヘルベルのカノンとバッハのいわゆる「G線上のアリア」。
 定番にしていて楽なんやろうけれど、バロック音楽というのはそんなに厳かに聞こえるものなんかなあ。私、毎年これやと飽きてきた。私やったら式が始まるまではベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」の第2楽章を繰り返しで流しておいて、生徒が入場いる時に第3楽章に切り替えるとか、そういう統一したイメージを作りたいなあ。卒業証書授与のバックにはマーラーの交響曲第9番の終楽章を使いたい。
 前任校では卒業証書授与のバックにはベートーヴェンの交響曲第9番の第3楽章を繰り返して流していた。最初に決めた人が誰かは知らんけれど、心穏やかになるええ感じの曲やもんな。あれは私はええなあと思うていた。
 30数年前に講師として勤務した定時制高校では、BGM選曲をクラシック好きの方といっしょにまかされて、生徒の答辞のバックにブラームスの交響曲第3番の第3楽章をしよう。静かで物悲しい曲で、別れの心境を盛り上げたと思うけれど、今やとあれはよう使わんな。弔辞のバックみたいやもんな。
 てなことをつらつらと考えておりました。
 体育館はさすがに寒く、昨日からしんどかったので、式の片付けが終わり、昼食をとると、午後から半休をとって帰宅。帰るとすぐに式の記念にいただいた紅白饅頭を食べ、それから午睡。さすがに疲れてたんやね、速攻で就眠し、爆睡。来年はフロアの職員席で座って参列したいものです。

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ドッジボール [スポーツ]

 朝から不調。何度も引き返して帰宅しようと思うたが、お山の学校の最寄りのバス停に降り立って、ここまで来たら出勤せな仕方ないと踏ん切りをつける。
 今日の午前中は私が副担任をしている学年の「球技大会」。クラス対抗のドッジボールであります。私は自分が副担任をしているクラスの応援。インターンシップの生徒も何人かいてるので、その生徒たちを応援しているという感じかな。
 見ていてふと思う。ドッジボールというのは不思議な球技やな、と。球技というのは大きく二つに大別される。ひとつは相手チームのエリアを突破して自分のチームのゴールにボールを入れるもの。サッカーやラグビーなどのフットボール、ハンドボール、バスケットボールなどがそれ。もうひとつは相手のエリアにボールを打ちこみ、相手が自分のエリアに打ち返させないようにするもの。テニスや卓球、バレーボールなどがそう。
 ところが、ドッジボールは互いのエリアにいるプレイヤーにボールをあてて追いだし、相手を全滅させるという、ボールの行方よりもプレイヤーの排除が目的となるのですね。もう一つ不思議な球技があり、それは野球やソフトボール。これもボールが主体やなく、ボールを打ち返して相手がそのボールを処理している間に決まったルートを一周して生還するのが目的。相手のボールの処理次第でプレイヤーが排除されると得点できない。
 ドッジボールと野球は相手プレイヤーを排除させる得失点がプレイヤー主体のゲームで、ボールはそのための道具にすぎない。多くの球技はプレイヤーの排除が目的ではなく、あくまでボールを相手に捕られないようにするというボールの行方が主体のゲーム。
 そやから、野球やドッジボールは多少へたくそであってもそれが必ずしも不利になるわけやない。野球では死四球で走者となり、相手のミスがあれば例え打てなんでも味方の攻撃次第で得点できるし、ドッジボールはボールを捕球したり強く投球でけんでも、ボールをあてられないように逃げ回っていたら生き残って勝ちぬくことができる。
 むろんハイレベルなものと低レベルなものが対戦したらハイレベルなものが勝つわけやけれど、必ずしもハイレベルなものが圧倒的に有利というわけでもない。そやから小学生でも大人でも同じように楽しめる、ということになるんやないかと愚考する次第。
 今日はエキジビションマッチとして、生徒の選抜チーム対教員チームの試合というものもあり、私は逃げ回るのもしんどいので最初から外野にまわり、こぼれ球を拾うことにした。それでも拾った球を相手にぶつけることが求められたりするわけで、いざ投げようとしたら肩が上がらずへろへろ球しか投げられませんでした。コロナの後遺症からかいまだ体中筋肉痛に悩まされ、倦怠感で動くのがおっくうになっているおっさんにはもともとハイスペックなものは求められてへんから、それでええのです。
 球技大会が終わると、明日の卒業式に向けて準備を少しばかり。午後から帰ってもよかったんやけれど、事務作業をマイペースで行い、定時に退散。帰宅後は読書をしたりしていたけれど、夕食後疲れからか眠くなり、少し寝る。
 明日は卒業式。午後からは特に仕事もないので、状況を見て半日休をとってもええかな。

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七つの仮面 [読書全般]

 朝からだるいが、なんとか出勤。午前中はインターンシップ関係の文書作成などをする。けっこう頭を使い、疲れたけれど、午後は成績処理関係の作業があって、そちらに集中。終了後は少し休憩してから来年度に向けて文書作成など。
 定時に退出したけれど、バスは目の前で出ていき、風の吹く中10分ほど待たなならんかった。よけいしんどい。
 帰宅してすぐに寝床にどぶさりスマホをいじったり読書をしたり。夕食後も読書。明日は球技大会の補助にかりだされて午前中はグランドに出てんならん。寒くならんことを祈る。
 横溝正史「七つの仮面」(角川文庫)読了。いずれも女性が被害にあう殺人事件を集めた短編集。聖女と呼ばれていた女性の素顔を暴く表題作のほか、変死した女占い師の裏の顔に迫る「猫館」、抱き合ったまま死んでいた男女にかかっていた硫酸の謎を解く「雌蛭」、人気作家の買った屋敷から見つかった女性の死体の謎を描く「日時計の中の女」、海の上の別荘から望遠鏡でのぞきをしていた男がボートに乗っていた女性の死体を見つける「猟奇の始末書」、受験生が深夜に殺人を目撃し思い悩む「蝙蝠男」、縁者を集めた女主人がその夜に密室で殺されてしまう「薔薇の別荘」を収録。
 舞台は昭和30年代前半から中頃のものばかりで、金田一耕助の推理もあまり冴えていない。ミステリとしてはどうやって殺されたかを解き明かすものはほとんどなく、なぜ、誰に殺されたかがテーマやけれど、出てくる女性がいかにも不道徳で自堕落というのが多く、痴情のもつれが原因という作品がほとんど。
 おそらくそういうエログロなものを求められて量産していたんやないかと思う。受験生の視点から描かれた「蝙蝠男」だけは趣向を凝らしているという感じやけれど、全体に書き飛ばしたという印象が強い短編集。なるほど、こういうものばかり書き飛ばしていたのでは、昭和50年代に角川映画のおかげでブームが起こるまでほとんど忘れられていたに等しかったのも無理はないと感じさせられた。

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