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梅田に出る勇気 [日常生活]

 愛すれどTigers「2020年を振り返って」を更新しました。

 昨日外出した上に漫才をたっぷり見て疲れたか、今朝も一つだけ忘れもの。マンションの管理組合理事会に提出書類を投函できず。まあ締め切りは明日なんで、明朝に出せばよいから大きなミストはならなんだけれど。
 午後から、先日の土曜出勤の代休なんで、午前中は成績業務やら授業やらで目いっぱい仕事をし、昼食後に退散。キロの電車で寝てしまい、起きたら梅田駅。引き返すくらいなら、降りてしまえとちょっと勇気を出して改札を出て、阪神百貨店に行き、タイガースショップで来年のカレンダーを買う。
 帰宅してすぐに午睡。夕食前に目覚め、スマホをいじったり読書したりして過ごす。昨日午睡でけなんだ分、しっかりと疲れを取りました。
 梅田は平日ということもあり、比較的すいていた。それでも阪神百貨店の地階食品売場はそれなりの人出。なるべく人込みを避けるようにしていたけれど、この調子やと年末年始はそこそこの人出になりそう。大阪はまだ赤信号のはずなんやけれど、4月から6月にかけてのように外出を誰もが自粛するという感じではないね。みんなコロナ慣れしたということなのかな。百貨店の入り口では誰もが手指消毒をしていたし、マスクをしてへん人もいてない。最低限の対策をしていればしのげるという感じになってるのかな。かくいう私もそういう「慣れ」はある。ただ、やはりそれなりに恐れはあるんで、とにかく疲れをためすぎないように、仕事では無理をせず、休める時にはちゃんと休む。外出の必要のない時には家にいるというところは押さえてはいるけれどね。
 でも、春のように通勤時に感じていたような恐れはあまりないのかも。かかる時はかかると腹をくくったということもあるかもしれん。平日やから、梅田で降りる気になったんで、例年のように年末に阪神百貨店に行くかどうかは、年末の帰省と同様まだ決心でけんもんなあ。

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M-1グランプリ2020 [演芸]

 今日は「たちよみの会」例会。朝のうちに深夜に録画したアニメを何本か見て、「仮面ライダー」「キラメイジャー」を見てから昼前に出発。特急で座れたから、人出はいくぶん減っているのかな。そやけど、京都の四条かいわいは人でにぎわい、「フランソア喫茶室」も満席になっている瞬間もあったし、これはまずいんやないかなと感じた。私だけしか参加してなんだので、予告した通り14時半には店を出る。「丸善」で新書や文庫を買う。田中啓文さんの新刊2冊、柴田よしきさんの新刊、朝松健さんの新刊、フレドリック・ブラウンの復刊などなど。さて、これらはいつ読めるのでしょう。
 麩屋町四条上ルの「大藤」で千枚漬けを買い、帰宅。
 帰宅後はしばらく読書。夜は「M-1グランプリ2020」を見る。いわゆるM-1王者はマヂカルラブリー。小さい方がとにかく動きまわるアクション漫才。以前出場した時には決勝10位やった。その時はおかしげな動きをすればそれで笑いがとれるというような勘違いをしていたように記憶しているけれど、そこから動きの面白さとは何かということをしっかりと固めての優勝。とはいえ最終決勝3組はそれぞれ2票入ってマヂカルラブリーはわずか1票差と接戦ではあった。2位にはピン芸人のユニットであるおいでやすこが見取り図見取り図はちゃんとしたしゃべくり漫才で、実力を示した感じ。ピン芸人のユニットに最終決戦まで行かれてしまうのは漫才が情けないといわれるかもしれんけれど、おいでやす小田はR-1ぐらんぷりで漫才師のピン芸に負け続けてきたんやから、よう逆襲したといえるのかもしれん。
 決勝初進出49歳の高齢記録となった錦鯉はたわいないネタを間で笑わせる熟練の技を見せてくれたし、敗者復活なのにいきなりトップで出るくじに当たったインディアンスが熱気のある漫才で前半を引っ張ったけれど、最後の方にまわったアキナウエストランドなどは長い間待って緊張しすぎて疲れてたような感じがする。かつては本番前に出番も決まっていたけれど、くじでその場で決めるというやり方は待たされる側にとってはなかなか厳しいシステムかもしれん。年々決勝に残るコンビの笑いの質が高くなってきて、今年の決勝進出者もどのコンビが最終決勝に残ってもよいというレベルで、これだけのレベルを保ち続けていたら、M-1グランプリは今後も安泰なんやないかな。
 あと、今年は上沼恵美子審査員がやたら甘くなっていた。なにか心境の変化でもあったのか。そのぶんオール巨人審査員が厳しかったけれど。

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帰省すべきか [日常生活]

 今日は完全休養日。朝から録画したアニメやテレビ番組を見まくり、昼食後はしばらくスマホで遊び、午睡。ベランダに出るとひんやりするけれど、部屋に入ると床暖房でぬくぬく。布団にもぐりこんで惰眠を貪る。こういう休みが要るのです。
 テレビでは専門医らしい人が新型コロナウィルス禍が落ち着くのは再来年くらいやと説明している。定年退職するまではずっと感染リスクにおびえながら毎日通勤せんならんのか。せめて長くとも片道1時間くらいまでに通勤時間を抑えられたらなあ。
 夜のニュースでは関西の知事たちが集まって「関西限定緊急事態宣言」を出すかどうかという話し合いをしているという報道。年末年始は帰省の自粛、忘年会、新年会も最低限になどという提言をしている。まあ忘年会はともかく、「たちよみの会」新年会は来年はできませんね。もっともここ数年は新年会というほどのことはできず、古参Y氏と呑み会みたいなことしかしてへんけれど。
 さて、例年なら元日には実家に年始参りに行くのが習慣になっているけれど、父は亡くなり、妹と母の待つ実家に帰るにしても、母は基礎疾患もある高齢者。妻とは「お正月どうしよう」と話をしているんやけれど、決めかねている。「緊急事態宣言」のもと、日帰りとはいえ実家に帰るべきかどうか。あと半月と迫っているし、来週末には妹たちとも相談して決めたいところ。「緊急事態宣言」が出ていたら、踏ん切りもつけやすいんやけれどね。

 明日、12月20日(日)は、「たちよみの会」例会です。新型コロナウィルス感染症対策をした上で、多数のご参加をお待ちしています。第3波が来ているので、例会は13:00~14:30に短縮いたします。

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ホームページ移転作業 [日常生活]

 ようやく金曜日。午前中はなんとか授業をこなし、その時点で気力枯渇。午後は手元の閻魔帳とコンピュータに登録された生徒の出欠をつきあわせて、誤記がないか確認する作業。今年は欠席でも風邪の症状があれば新型コロナ感染症の疑いありとしてインフルエンザなどの時と同様「出席停止」として欠席扱いしないことになったので、閻魔帳では欠席でも、コンピュータの記録では出席停止となっているかもしれん。実際、修正点が多く見つかった。ただ、疲労で集中力を欠いていたのでたびたび中断。明日はほんま、寝ますよ。
 細かな事務作業をすませて定時に退散。
 帰宅後は妻とおしゃべりしたり、サンテレビ「熱血! タイガース党」を見たりして過ごす。
 パソコンに向かい、新しいサーバにホームページのこれまでのファイルをアップロードする作業を少し。FTPソフトを使い、一気に更新しようとしたけれど、うまくつながらん。ホームページビルダーのFTP機能を使おうとするけれど、なぜかいつも「応答なし」になる。
 で、ファイルを一つずつ開いて更新したら、これはなんとかうまくいく。新しいサーバにちゃんとつながってるねん。どういう理屈でこないなってるんか、ようわからん。とりあえず時間はかかるけれどファイルをいちいち開いて更新していくしかないか。新年までに全部移転できるか心配になってきた。明日はたっぷり午睡して疲れを取りたいしなあ。現状ではかなり移転が進み、残るは「大相撲小言場所」と「愛すれどTigers」の記事のみ。実はこれがかなりの分量なんです。さっき大相撲の記事を開いては更新していたんやけれど、1998年の十一月場所までやって、日記を書くことにした。ああ道遠し。まだ19年分の相撲記事と21年分のタイガースの記事がある。ようまあそんだけ書き続けてきたことであるなあ。

 12月20日(日)は、「たちよみの会」例会です。新型コロナウィルス感染症対策をした上で、多数のご参加をお待ちしています。第3波が来ているので、例会は13:00~14:30に短縮いたします。

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マルタとイマデ [日常生活]

 昨晩はずるずると夜ふかし。いや、バッハの無伴奏ソナタとパルティータのアッティラ・アルデミールという人のヴィオラ演奏版のCDをきりのいいところまで聴こうとしてたらついつい寝るのが遅くなってしもうたのです。本来はヴァイオリンのための曲なんやけれど、ヴィオラの音で聴くとなかなかに心地よいのです。
 朝から寝不足で出勤。昨日の深夜に録画したアニメ「魔王城でおやすみ」をみていたら、主人公のスヤリス姫がうらやましくなってきた。魔王城に人質になっているお姫さまが「寝るしかすることがない!」と安眠を求めて魔王の城で好き勝手に動き回り、魔王や眷族たちが右往左往するというコメディなんやけれど、ただひたすら安眠を追求する姿にいつも羨望を抱いているのであります。
 お山の学校のところまで着いたら、地べたがうっすらと雪におおわれていた。寒っ。
 午前中はテスト返却をしたりしてから、成績処理や会議資料の作成などなど。午後は会議のあと、来年度の検診の予定作成やらトイレにハンドソープを設置しにいったりやらあれこれ。定時に退散。
 帰りの電車でスマホをいじっていたら、となりに座っていた若い男性二人の会話が気になりはじめる。役所関係の仕事をしている人たちらしいんやけれど、「マルタまで行ってな」「イマデにも行かないといけなくて」てなことを言うている。職場の話とラーメン屋の話をひたすら繰り返していて、あまり中身のない会話なんやけれど、そのうち「ゴジョーからマルタに行って」なんて言いだして、「マルタ」と「イマデ」がどうやら「丸太町通」と「今出川通」の省略形やということに気がついた。
 うーむ、私は京都で生まれ育ち30年ほど暮らしてきたんやけれど、こんな省略の仕方は初めて聞く。だいたいこれらは通りの名前なんで、地名として省略することはない。「河原町丸太町から烏丸丸太町まで行って……」みたいな使い方をする。「通り」という言葉は省略しても、「丸太町」とか「今出川」は省略しない。そのうちに違和感の正体に気がついた。「丸太町」も「今出川」も「五条」も、みんな東西に走る通りの名前なんやけれど、地名を示す時は前述の通り「烏丸通」や「河原町通」のような南北の通りと組み合わせる。そやけど彼らの会話には南北の通りの名前が出てこんのです。
 もしかしたら、これは京都地下鉄烏丸線の駅名のことなんやないか。それやったら南北の通りの名が出てこんのにも合点がいく。それでも私はこれらの駅名を「マルタ」とか「イマデ」なんて略したことはない。今時の若い人はそんな略し方をするのかな。大阪に移って25年以上たつから、京都の若者たちの日常会話を耳にすることはほとんどなくなったしね。そやけど、やっぱりそんな略し方は初めて聞くなあ。イントネーションが京都人特有のねちゃねちゃしたところがないから、かれらは京都育ちやないのかもしれん。彼らの職場は地下鉄烏丸線沿いにあり、移動はもっぱらその電車だけで、彼らの職場だけに特化した略語なのかも。
 今ではすっかり大阪になじんだ私であるけれど、根っこは京都人やから、そういう略し方はなんか田舎臭うていややなあ。親戚を呼ぶ時も「三条のおっちゃん」「上立売のおばちゃん」みたいに住んでいるところの通りの名で呼ぶ。それが京都式。間違うても「マルタ」とか「イマデ」なんちゅう呼び方はしません。
 というわけで、私の中では彼らは「田舎者」認定されてしもいました。差別的な表現やと思わはる方もいたはるかもしれんけれど、京都人というのは本質的にそういうように「都の人」と「田舎の人」を分けたがるところがあるのです。そういうところが京都の産である私でも嫌なところなんやけれど、今日は自分の根っこは京都人なんやということに気がつかされた次第。
 帰宅し、夕食後、ちょっと居眠り。どうも心身ともに疲弊してるなあ。

 12月20日(日)は、「たちよみの会」例会です。新型コロナウィルス感染症対策をした上で、多数のご参加をお待ちしています。第3波が来ているので、例会は13:00~14:30に短縮いたします。

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一発屋芸人列伝 [読書全般]

 朝から寒い。冷える。お山の学校は下界よりも標高が高く、1~2℃くらい低い。
 マスクをしていて困るのは、マスクから漏れた呼気が眼鏡にかかり、レンズが曇って前が見えんようになることですな。仕方なく眼鏡を外すと、極度の近眼に乱視なんで、目に入るものすべてがぼけてしまい、正直怖い。で、曇りをふき取った眼鏡をかけると、またすぐ曇る。気温が低いんで、ちょっとの蒸気でも結露するんやね。
 外を歩いている時は、特に朝はまだ暗く人影もまばらなんで、マスクを外して駅前まで行くことにした。すると、口のまわりが冷えて寒さが増すのです。教え子からいただいた布マスクにしても、ユニクロのクーポンで入手したエアリズムマスクにしても、冷気から顔を保護してくれているんやね。帰りも同様。急に冷えこんで、わざわざ寒いところまで行くのもかなんし、新型コロナウィルス感染のリスクも高いし。
 もう少し近いところに転勤したいと、通勤しながら毎日思うてしまうのです。
 午前中は授業と会議準備。午後は会議につぐ会議。うち一つは私がいないとどうしようもないもの。空き時間はたっぷりあったはずなのに、定時を過ぎても明日の授業で返却するプリントのチェックが終わらん。それでもなんとか最短時間で終わらせ、残業とも言えんくらいですんだのはすごいと、何を自画自賛しているやら。下界に降りても風は強く冷たい。明日もコロナストレスを抱えながら通勤か。
 山田ルイ53世「一発屋芸人列伝」(新潮文庫)読了。親本発売時に話題になっていたけれど、文庫化まで待ったかいがあった。世にいう「一発屋」のもとをやはり「一発屋」を自認する漫才コンビ髭男爵の山田ルイ53世が訪れて、インタビューしたものを本人がまとめ直したもの。芸人になるというのは、やはり「業」なんやなあと思わずにはいられん。「あの人は今」的なとりあげられ方をされる人たちの「頂点」と現在の着地点を独特の筆致で描き出す。芸人が芸人の評伝を書く。このこと自体ものすごく勇気のいるものやったんやないか。これは自分の芸人としての立ち位置を問われる行為でもある。突き放すでもなく、しかし感傷に流されるでもない、微妙な立ち位置を保持して書かれたのが本書やと思う。親本出版時に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を受けたというのもようわかる。書評家が小説を書くこととちょっと似ているかもしれん。お話ならめでたしめでたしで終わるところだが、人生には「その後」が必ずある。本書にはさまざまな「その後」が綴られている。芸人たちが試行錯誤して生み出した「笑い」があっという間に消費され、「消えた」などといわれてしまう、その残酷さと気まぐれさ。本書からは芸人の生き方だけやなく、彼らをもてあそぶように持ちあげて捨てていく「人気」というものの得体の知れないもののすがたも浮かび上がってくるように、私には読めた。外部の人間であるライターにはとても書けん「業」の深さが本書にはつまっている。

 12月20日(日)は、「たちよみの会」例会です。新型コロナウィルス感染症対策をした上で、多数のご参加をお待ちしています。第3波が来ているので、例会は13:00~14:30に短縮いたします。

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杜子春の失敗 [SF]

 昨日の朝はなんとかいつもの時刻に起きられた。1日しか休んでへんから、体が休日仕様になってまうんやないかと危惧してたんやけれど、月曜日やと認識してくれたみたい。疲れのとれぬまま出勤。さらに疲れる。今日から短縮授業で、午前中はずっと授業。もっと疲れる。昼食を手早く捕り、一服つけたところで会議。それほど時間はとらなんだけれど、ますます疲れる。会議終了後、一息入れてから土曜に行われた社会科の試験の採点を始める。わりとさくさくと進むけれど、採点ミスのないようにと気力をふるいたたせているから、とことん疲れる。採点途中やったけれど、定時で退散。帰路は疲れているので車中でスマホをいじり、ソリティアなどゲームで気晴らし。それでも疲れる。帰宅後、しばらくだらだらごろごろ。ちょっと疲れが取れたので、読書。夜、ワードでこの日記を書いて、さてアップロードしようとしたら、ネット回線が切断したまま動かず。パソコンを立ち上げてしばらくはつながってるけれど、一度切断されるともうつながらん。やむなくスマホでかんたんんに文書を作ってアップしたけれど、これは困る。
 というわけで、今日スマホで検索して調べたら、ハードディスクのクリーンアップをしてないと切断することがあるとわかった。今日の午後はこの前の土曜午後の代休を取っていたので、考査答案の採点をすませてとっとと退散。帰宅後、午睡し、夕刻起きて鼻ポンプの内科に行く。これも土曜に予約を入れていたけれど変更して今日にしたのです。帰宅してからいよいよパソコンのプログラムからクリーンアップを選んで稼働。おおお、切断しなくなった! ちゃんとケアしてやらなんだ私が悪かった。というわけで、こうやって書いた2日分の内容の日記を読んでいただけることができます。よかったよかった。
 小林泰三「杜子春の失敗 名作万華鏡・芥川龍之介篇」(光文社文庫)読了。小林さんが芥川龍之介の短編小説をモチーフに、現代に生きる人々の姿を描く。いじめられ、金をたかられる少女は青焼きの冊子を通じて杜子春と会話し、自分の取るべき道を決める。零細企業で不正経理を命じられた男は、鉱石ラジオを通じて蜘蛛の糸のカンダタと会話し、自分のすべきことを決める。少し頼りなさげな恋人の子を身ごもった女性は、合わせ鏡を通じて河童の国の第二十三号と会話し、迷いを断ち切る。それぞれ別個の話として書かれながら、読み進めるうちにそれがつながりをもつことがわかってきた。そして書き下ろしの完結編では第一話の少女をいじめていた同級生が、なんとあの因業探偵と出会い、土管の中で白犬と会話し……。三話目までは少しほろりとさせるところもあるええ話なのに、最終話でとことん邪悪になる。そのコントラストがはっきりしていればいるほど、結末はいつものあの小林泰三さんの世界に否応もなく引きずりこまれてしまう。この構成の妙味。パスティーシュかと思わせておいて芥川の短編の写し絵のような、それでも独自の世界を展開していく。すでに次の「名作万華鏡」は「太宰治篇」として連載が進んでいたというが、書き下ろしとなるはずだった完結編が書かれていなければ、中途半端な形での絶筆となっていることになる。おそらく何らかの形でまとめられて出版されるんやろうけれど、本書を読んだら、完結話がなければならないことがわかるので、小林さんが完結編のアイデアでも残しておいてくれたら、それをもとにどなたか完成させてくれんものか。ほんまは私が……なんて思わんことはないけれど、せっかくの小林さんの力作をぶち壊しにしてしもうたらあかんね。
 読みながら、太宰の次は誰やったんやろうかとか、いらんことまで考えてしもうた。そうか、そうやな。もう小林さんのこの独自の世界が新たに綴られることはないんやなあ。まだ未読のものは何冊かあるので、急がずじっくりと読んでいこうと思う。

 12月20日(日)は、「たちよみの会」例会です。新型コロナウィルス感染症対策をした上で、多数のご参加をお待ちしています。第3波が来ているので、例会は13:00~14:30に短縮いたします。

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パソコン不調 [日常生活]

なぜかパソコンがネットにつながらないので、今日は日記はお休みです。
ちゃんと書いたのになあ。今はスマホから更新しています。
さて、明日はちゃんとつながるかどうか。
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愛とか思い入れとか [テレビ全般]

 今日は完全休養日。昨日は全日出勤やったから、金曜の深夜に録画したアニメはほとんど見られてなんだんで、そちらを優先的に見てから昨日の深夜に録画したものを少し見る。そのあと「仮面ライダー」「キラメイジャー」と見てから、スマホで遊ぶ。昼食後も少しばかりスマホをいじり、それから午睡。ふと気づいたら部屋は真っ暗。冬至まであと1週間に迫ってるから、陽が落ちるのも早いとはいえ、まあよう寝た。爆睡したなあ。
 起きてから昼間に録画した「M-1グランプリ」の特番を見る。過去の映像やブラックマヨネーズ、麒麟の川島などがスタジオでおしゃべりしながら、フットボールアワーやサンドウィッチマン、アンタッチャブル、ミルクボーイ、オール巨人などがビデオ出演。構成がよく、1時間弱で過去のM-1の勘所をきちっと押さえたものになっていた。番組に対する愛情が感じられるなあ。こういう番組を東京の会社が作ると何をしたいかわからんようになって総花的なつまらんものになることが多々ある。
 深夜アニメで「まえせつ」というのがあって、吉本興業も製作協力をしているのでそれなりに考証などはきちっとしているんやけれど、漫才志望の若い女の子たちの描き方が甘すぎて、お話にならん。漫才に対する愛が決定的に足りない。監督も脚本もがんばっているんやろうけれど、いかにも付け焼き刃で得た知識をなんとか映像化しているという、長年の笑芸ファンとしては残念な作りになっている。せめて原作者や脚本家に漫才に対する思い入れの強い人がいてたらこうはならなんだと思うような描写が多く、辛くなる。
 プロになろうというものが大阪のNGKまで行ってベテランの漫才を見て(ちゃんとほんまもんのティーアップなどの音に絵を当てている)客といっしょになって笑うてたりしたらあかんやろ。受けない理由を考え、ボケとツッコミの役割を変えたらおもろなったとか、レベルが低すぎて悲しくなる。笑いはそんな単純なもんやなかろう。いとしこいしのようにどちらもボケてどちらもツッコむ話芸があるのに。笑い飯のダブルボケを知らんのか。そこまで文句があるならなんで見ているかといわれると、文句を言うならちゃんと見とかんとただの言いがかりになるという、これは書評の時と同じ姿勢で私は見ているのです。たぶん、アニメや笑芸に対する思い入れがあるからなんやろうな。
 愛というのか思い入れというのか、そういうものはやはりお金をいただくならそういうものがないと、と思うのですが、如何。
 明日はもう出勤か。辛いなあ。学校保健主事の仕事に愛も思い入れもないから、辛いんやと、それだけははっきりしているなあ。

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小松政夫の死 [追悼]

 今日は土曜出勤。妖精さんが現れなんだら午前中に学校説明会だけがあって半ドンで終わってたんやけれど、臨時休校をした関係で予定変更。午前中は考査最終日で、午後から学校説明会となった。で、お山の学校では学校保健主事は必ず個別相談の采配を行うことになっている。保護者からの質問に教頭などが答える部屋が用意され、私は保護者に待ってもらい、空いた先生のところへ次々と案内していく係。私でなくともできるやろうにと思うんやけれど、まあもう役割は固定されているので、粛々とこなす。
 土曜全日出勤でわかったこと。帰りのバスの本数が少ない! 地方のバスほどではないけれど、30分くらい待たされた。
 帰宅して少し休憩したあと、夕食。食後は少し読書。しばらくうたた寝。やはり疲れが出ているなあ。
 昨日は横山ホットブラザーズのアキラさんの訃報を優先的に書いたけれど、実は同時にコメディアンの小松政夫さんの訃報 にも接していたのでした。享年78。死因は肝細胞癌。どちらを優先的にとりあげるかというと、私にとっては断然横山ホットブラザーズ。
 でも、小松の親分さんかて別に嫌いやない。というか、その芸風はちょっと肌に合わんところはあったにしても、優れたコメディアンやったことは間違いない思うてます。いろいろな人気フレーズをもってはるけれど、私が好きなのは「わりーねわりーねわりーねでーとりっひ」という言葉遊びみたいなの(言葉のずらし方が鳳啓助さんに通じるところがある)とか、「あんたは、エライッ!」というもったいぶったものを誇張して茶化したようなもの。とくに後者は表彰状のもってまわった言い回しをわずかな言葉に凝縮してみせた秀逸なギャグやと思う。
 とはいえ、やはり私はコントよりも漫才が好きなんですね。これは上方漫才や上方落語から笑芸ファンになっていったという成育歴があるから仕方ない。吉本新喜劇もコントみたいに見えるかもしれんけれど、あれはれっきとしたお芝居ですもんね。小学生の高学年から中学生くらいの時期、私は「お笑いネットワーク」や「あっちこっち丁稚」という上方の笑いをきちっと伝えるローカル番組中心に楽しんでいたのに対し、クラスの連中は「みごろたべごろ笑いごろ」などの話題をしていててついていかれなんだもんなあ。その時間帯はたぶん父といっしょにタイガースのナイター中継を見ていたと思うのです。そやから「ガッチャマンに負けるな負けるなガッチャマン」とか言われても何のことかわからなんだ。大人になってから「テレビ探偵団」などでそういうののVTRを見て、初めて小松政夫さんの持ちネタやと知ったくらい。ただ、ナイターのない時とか「カックラキン大放送」などを見てもどこがおもしろいのか、笑うところひとつもないやんと思うたのは事実。「欽ちゃんのどんとやってみよう」は別格やったけれどね。
 ただ、今、大人の目で当時の番組のコントをVTRで見たら、伊東四朗さんと小松政夫さんのやりとりというのは実に高度なタイミングで仕掛けられていることがわかるのです。わかりやすくするために抜群のタイミングで誇張する、その間はたぶん当時のコント番組でも白眉やったんと違うのかなあ。それを当時の未熟な私が理解できてなんだだけで。
 伊東四朗さんとの名コンビで一時代を築いた「コメディアン」という肩書がつく数少ない人が亡くなった。今はテレビで笑芸をする人は漫才師でもコント師でも「お笑いタレント」と十把一絡げやもんなあ。雑なくくりで、私、この「お笑いタレント」という言い方は好きになれんな。
 それはともかく、軽味としつこさがほどよくブレンドされた名コメディアンの死はいたく残念。謹んで哀悼の意を表します。

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