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ゴロゴロしてだらだら書いて [日常生活]

 妻が風邪をひいた。風邪をひくと桶屋がもうかる。そんなあほな。
 妻が風邪をひくと、同じ部屋で食事をし、同じ部屋で寝床に入っている私にうつらんわけがない。妻は2月後半から2週間続いた隔日外泊で体力が落ちているせいか症状がきつい。とくに鼻の調子が悪く、ティッシュペーパーの箱を常にそばに置いとかなあかん。
 私はというと、昨日の朝は頭痛がし、午前中は動けず。「ナンジャモンジャモガモガゴニョゴニョ」の「ゴニョゴニョ」の件で休暇をとっていたので、朝から少しばかり休めて楽になった。もっとも「ゴニョゴニョ」の件で午後からは外出したから、今朝も倦怠感が全身にまとわりついておりましたが。
 こういうときの薬は、休息なんでありますが、仕事をしている間は緊張感もあって意外に元気でいられる。その反動で帰宅してからはほんまにゴロゴロしてますが。
 こういう時に小難しいことを日記でぼやいてもろくなものは書けません。10年半もウェブ日記を書いてたら、それくらい経験でわかるのじゃ。
 というわけで、今日の日記はここまで。ほんまにだらだらと文章を垂れ流しておるな。こんなもん一行で事足りるのに。
風邪をひいてしんどい」。
 以上!

議員には責任なし? [時事ネタ]

 東京都の石原都知事が作らせた銀行が完全に破綻し、それについて石原知事や銀行の幹部への責任が追及されている。
 大阪府は財政再建団体転落への危機を常にはらんでいて、それについては一般職員の人件費削減などで負債を減らそうとしている。
 一連の問題で、私が常に疑問に思うのはただひとつ。
 都議会や府議会の議員にはなんで責任がないんやろう、ということ。いくら知事が放漫財政で都や府を危機に陥れたとしても、そのときの議会が予算案や条例を十分に審議して阻止させることもできたはずでしょう。ところが議員さんたちの歳費をカットするとかいう話も問題となった都市の予算案に賛成した議員さんへの辞職要求もされた様子がない。
 責任という意味では、議員さんは住民代表であるにもかかわらず住民への負担を増やすのに手を貸しているわけで、一般職員やら銀行幹部よりも罪は重いんと違うかなあ。
 いうたら一般職員は決められた予算を執行するのが役割で、その予算に基づく事業が赤字になったからというて、一般職員にだけ責任を取らせるというのはなんや理不尽やないかという気がするのですね。
 知事たちにしてみたら、議員さんを敵に回したら次の選挙で落選するかもしれんから、なるべくそっとしておこうということなんやろうけれど、現場の職員に痛みを分かち合わせるというのなら、議員さんにも分かち合うてもらわなならんのと違うかと思う。
 そういうことを新聞などまでもが追及せんのはなんでなんやろうか。そこもまた不思議ですな。

だいじょうぶか篤姫 [テレビ全般]

 NHK大河ドラマ「篤姫」では、宮崎あおい扮する篤姫が、島津斉彬からとうとう徳川将軍家への輿入れの話を聞かされ、悩みながらもついに腹をくくるという展開。
 話の途中で松坂慶子演じるところの教育係・幾島が篤姫を江戸にやることへの不安を何回も斉彬に訴える場面が出てくる。
 つい私もうなずいてしもうた。そやかて、こんなに首が細くて童顔の、子役と主役の橋渡しをする中二階くらいの役にしか見えない宮崎あおいがほんまに大奥に入り、中を仕切り、討幕運動に対峙して毅然とした態度をとり、新政府成立の後も勝海舟などと交流をもって徳川宗家存続に大きな役割を果たせるかどうか、ほんまに不安になってくる。
 思えば「翔ぶが如く」の時は富司純子がまさに映画女優ならではの存在感で天障院を演じていた。これだけ胆のすわった篤姫やったら錦の御旗を向こうに回して一歩も引かずということくらいできそうやと思わせるものがあった。
 脚本は現代風で面白く、時代考証に難なしとは言われんものの、去年の「風林火山」みたいに「おいこら戦国の世はすべて山本勘介と上杉謙信が裏で動かしてたんかよ」みたいなトンデモな展開は今のところないし、毎週楽しみにしているんやけれど。
 ただ、年をとってからの篤姫を宮崎あおいがどう演じるのかと思うと、幾島同様不安でなりませぬ。なんやったら、江戸に入ってから以降は鈴木京香あたりがやってくれんかな。それやったらすごく説得力のある篤姫になると思うけれど。
 あおいちゃんのファンの方は気を悪くしたかもしれませんが、あおいちゃんが悪いんやなく、あくまであおいちゃんをいきなり「大河」の主役にすえたNHKに対するぼやきなのです。悪しからず。

広川太一郎の死 [追悼]

 大相撲小言場所「平成二十年春場所展望~大関陣よ奮起せよ~」を新規更新しました。

 声優の広川太一郎さんの訃報に接する。死因はがん。享年68。
 洋画、特に「MASH」やとか「モンティ・パイソン」みたいなブラックな笑いを軽薄にアドリブをまじえて演じさせたら、この人の右に出る声優さんはいてなかったと、これはもう誰に反論されようと断言したいね。
 ナレーションでもシリアスなものはもちろん、軽妙なナレーション(「なーんてなことを言ってみたりしてみたり」てな具合)での軽やかさが忘れられん。思えば「広川節」の名調子を聞きながら育ったんよ、私らの世代は。新聞の記事ではまるで「宇宙戦艦ヤマト」の古代守が代表作みたいに書かれたりなんかしたりしているけどよ。広川太一郎でアニメの声というたら「ムーミン」のスノークだってばさってばさ。あ、宮崎駿版「名探偵ホームズ(テレビ版)」のホームズもすっとぼけてていかったんでないかい。
 アニメでは最後のレギュラーは「MEZZO」という深夜アニメやったと記憶している(ゲストでは特撮やけど「ゲキレンジャー」に悪役の声で出演をしているのが遺作らしい)。さすがに滑舌が悪く全盛期を知る者には寂しい限りやったけれど、黒川という軽薄でも実は凄腕というキャラクターを存在感たっぷりに演じていたなあ。そうか、あれ以来、声を聞かんなあと思うていたら、闘病中やったんやね。
 もし「モンティ・パイソン」の吹き替えが広川さんや青野武さんたちやなかったら、あんなに日本の視聴者が楽しめるものになってなかったんと違うかな。今は洋画の吹き替えの声優さんは本来の俳優さんと声質が似ていて演技も指定どおりにやらんとあかんという状況らしいけど、広川さんたちの時代は吹き替えの脚本や演出や声優が横のものを縦にして違和感のないように、そして視聴者が楽しめるものにするという工夫を丹念にしていた時代やったのです。そして、それを基礎知識のように吸収して育ったのが私たちの世代なのです。
 それがどんなに貴重なものやったか。この年になってわかるのです。
 謹んで哀悼の意を表します。ありがとうございました。

第38回NHK上方漫才コンテスト [演芸]

 例年では今ごろ東京で深夜カラオケに突入しているころなんやなあ。諸般の事情で今年は行かれなんだけれど、来年は「SF大賞パーティー」に再び行きたいものです。
 で、今晩は「第38回NHK上方漫才コンテスト」を見る。最優秀賞はとろサーモン。優秀賞はモンスターエンジンアジアン。まあ順当な結果といえるやろう。
 とろサーモンもモンスターエンジンも得意ネタで勝負し、じっくりと練りこんであるものだけに笑いのとり方がうまくいっていた。それに対しアジアンは得意ネタを封印して新ネタで勝負しにきた感じで、馬場園のボケにいつもほどの切れ味がなかった。
 賞レースというのはやはり難しいものですね。その場の出来不出来で結果が出るしね。実力がなかったら賞は取れんけれど、1位になるような漫才は勢いが違う。うまさだけではカバーしきれんところがあるなあ。
 審査員の喜味こいし先生が、一番手で出てきた女と男の漫才の講評で、このコンビの漫才そのものには触れずに「漫才とは何か」という基本的なことを示してから「漫才とはこういうものです。あとは結果が出てから考えてください」という趣旨のことを言わはった。つまり、一から出直せという意味やろう。非常に厳しい言葉で、女と男は最下位という結果からこいし先生の言葉の重みを感じ取ったことやろう。
 翻訳したらこうなるか。「あんたらのはまだ漫才とはいえん。もっと勉強して出直してほしい」。
 コンクールとは厳しく残酷なものやと感じさせてくれた今年のコンテストやった。

「ちりとてちん」のおかげ [演芸]

 朝ドラ「ちりとてちん」のヒットのおかげで、JOBKも落語ファン開拓に本腰を入れる気になったか、死蔵しかかっていた名人の映像を深夜に放送してくれている。いずれも「ちりとてちん」に出てくる演目ばかり。今日の深夜までのラインナップは、五代目桂文枝「愛宕山」、四代目林家染丸「辻占茶屋」、桂南光「ちりとてちん」、桂あやめ「ちりとてちん(改作・女性版)」、桂文枝「たちぎれ線香」。明日は桂米朝「はてなの茶碗」や。
 嬉しいことにBS-2では来週水曜日に六代目笑福亭松鶴「らくだ」も放送してくれる。
 私が本放送のときに録画しDVDに保存したものも含まれているけれど、録り損ねた人なんかには嬉しい企画やろう。できたらこういうものは本格的にDVD化してほしいなあ。
 まあこういう企画が通ったのも「ちりとてちん」のおかげ。一過性のブームでもかまへんから今のうちにどしどしと落語企画を出していってほしい。
 それにしても、こういう映像をちゃんと残してるんやねえBKは。どんな貴重な映像でも倉庫に入れたままほったらかしでは意味がない。ほんまに今のうちでええから、死蔵しかかっている貴重なビデオをがんがん虫干ししていっていただきたい。

サンテレビをごらんのみなさんとは [テレビ全般]

今日はめったに聞かれないものを聞いてしもうた。
 帰宅してから録画しておいたサンテレビの放送した「阪神-広島」オープン戦を見た。今日はこの前亡くならはった島野育夫元コーチの追悼試合や。こういうのを見逃すわけにはいかん。
 試合は点の取り合いで面白い展開になったんやけれど、番組開始から2時間半くらいたつと、実況の湯浅アナウンサーがこう言うた。
サンテレビをごらんのみなさんとはここでお別れします」関西地方にお住まいのタイガースファンの方ならご存知やけれども、サンテレビという局の売り物は「試合開始から終了まで完全実況」する野球中継なわけですね。そやからシーズン中は「放送時間が残り少なくなってきました」てな言葉は聞かれへん。
 オープン戦ならではなんやけれどものすごく貴重な言葉を聞いてしもうたような気がする。
 この感じ、わかる人にはものすごくよく理解してもらえると思うけれど、関西のタイガースファン以外の人からは「だからどうよ」と言われるやろうなあ。
 そやけどなあ、サンテレビのアナウンサーの口からは「テレビ神奈川をごらんのみなさんとはここでお別れです」というのしか聞いたことないもんな。サンテレビが、ですよ。わからんですか。そらそやなあ。

隔日独身の終了 [日常生活]

 以前この日記で「ナンジャモンジャモガモガゴニョゴニョ」で精神的に余裕がないという趣旨のことを書いたけれど、その要素の「ナンジャ」くらいがようやくひと段落ついた。
 実はこの2週間、妻は実家の都合で一日おきに我が家を空けなならんという状況やったのです。
 つまり、私は隔日で独身生活を送るという非常に変則的な毎日を送っていたのですね。
 そこにちょうど「モンジャ」くらいにあたる入試と採点という緊張する日々が1週間続いていて、それがひと区切りしたかと思うと「モガモガ」くらいにあたる伯父の葬儀があった。つまり、隔日で独身生活を送るというやっかいな状況の間に入試と祭典で職場にカンヅメになっていたり葬礼の受付で香典を相手に格闘したりしていたわけです。
 人には生活のリズムというものがあり、私の場合は妻と毎日顔を合わしてアニメを見たり「ちりとてちん」を見たりするというのが常態となっていた。ところが昨日は妻とテレビを見たかと思うと今日は一人で明朝食べるご飯の炊飯器のセットをし、明日は疲れた妻をいたわりつつ「HDDレコーダーがクラッシュする前に少しでも使用容量を減らしてよ」などとプレッシャーをかけたりしていたのです。これはきつい。
 日常と非日常が交互におとずれるというのは、けっこうストレスのたまるもんなんですわ。それがようやく本日終了。「おお、昨日も家にいたのに、今日もいるよ」と妻に言うたりする。2週間も続くと、リズムがそのように変えられるんやね。
 というわけで、今日からまたリズムを元に戻さんならん。そやけどこれはすぐに戻るでしょう。
 さて最後の「ゴニョゴニョ」やけれど、これはまだ書かん。というか、書くわけにいかん。時がきたら書きます。この「ゴニョゴニョ」がこれまたやっかいで、まだまだ落ち着かんのです。
 そんなこんなで今年は「日本SF大賞・SF新人賞贈賞式」への参加は見合せることにした。毎年楽しみにしてるのに残念やけれど、「ゴニョゴニョ」と仕事の日程がかさなってえらいわやくちゃで、とても東京に行っている余裕がないのです。なんでこんなことになるかなあ。

二元論の脅威 [時事ネタ]

 今読んでいるのが菊池誠さんと香山リカさんの対談本で、ニセ科学やスピリチュアルに騙される人について語り合うというもの。またいずれ感想は書きますが(実は感想を書ける本がかなりたまっているんやけれど、諸般の事情で感想を書いている余裕がないのです)、面白いのは「白か黒か」という二元論的な発想をする人が増えてきたのではないかというくだり。「善か悪か」と言い換えてもいい。
 善悪二元論で凝り固まった人がどんなに困った存在かというと、米国の環境保護団体「シー・シェパード」が日本の調査捕鯨船を襲撃した事件あたりをみたらはっきりわかる。以下、読売新聞のサイトより引用。

“水産庁に3日入った連絡によると、同日朝(日本時間)、南極海を航行していた日本の調査捕鯨船団の母船「日新丸」が、米国の環境保護団体「シー・シェパード」の船から液体入りの瓶や白い粉の入った袋を計100個以上投げつけられた。
 一部の瓶が割れて液体が飛び散り、甲板の乗組員1人と海上保安官2人の計3人が目の痛みを訴えた。
 水産庁によると、同団体の船は2日午前中から日新丸の追跡を開始。日新丸では安全確保のため離れるよう警告したり放水したりしたが、約10メートルの距離まで近付かれ、3日午前7時10分から約1時間にわたって妨害行為を受けた。同団体の船はその後も日新丸の近くを航行している(後略)”

 液体というのは酪酸とみられていて、下手したら失明してたかもしれんような劇薬やそうな。ここまでいくと、鯨の命を守るためなら人間はどうなってもええという「鯨=善、捕鯨=悪」なる二元論が「シー・シェパード」の人々を支配しているとしかいいようがない。
 自分たちの立場を絶対的な善としたら、ある生き物の命を守るためならば自分と同じ種類の生き物の命を危険にさらしても気にならん。悪は滅びてもええんやから。そんな考え方になってしもうているんやろうか。
 私は「シー・シェパード」なる団体が反捕鯨団体の中でどういう位置づけにあるのかくわしくは知らんけれど、過激派というのは往々にしてこういう矛盾を抱えたまま極端に走ってしまうもんなんやろうと思う。
 もし現代の日本人人の大勢が二元論的な方向に傾いているとしたら、私らは「シー・シェパード」の愚かさに単純に怒ったり嘆いたりしている場合やないと思う。国民全体が「シー・シェパード」のような極端な行為に走ってしまう危険性をはらんでいるといえるからですわ。
 そういう意味でも菊池さんと香山さんの警鐘はもっと広く響き渡るべきやと思うし、私もまたなるべく柔軟な考え方ができるように意識して物事を見つめなあかんなあと思うたりする今日此頃でございます。

疑惑の銃弾 [テレビ全般]

 昨日の深夜の経済ニュース「ワールドビジネスサテライト」で司会の塩田アナウンサーが若いアナウンサーに向って「『疑惑の銃弾』といっても記憶にないかもしれませんが」と振っていた。すると、その若いアナウンサーも「はい、知りませんでした」と当たり前のように答えている。
 まあなんというか、ロス疑惑なんていう事件はテレビや雑誌や新聞が大騒ぎしたわりにはそれほど複雑怪奇な事件でもなく、亡くなられた三浦夫人には気の毒やけれど、私は当時はなんでこの事件でこんなに騒ぐんか理解でけなんだ。それでも、そう熱心にテレビを見てなくても「ジミー佐古田」なんていう名前が嫌でも耳に入り、覚えてしもうた。20数年ぶりにその名前を聞いてなんかものすごく懐かしくなってきた。
 なんでロス市警も今ごろ逮捕したんでしょう。どうでもえええけど、そっちの理由の方が気になる。
 それよりも、この事件を知らん世代がテレビや新聞が大騒ぎしているのを見てどう思うか、それが知りたい。ミウラカズヨシというとサッカーの選手しか思い浮かばん世代にとっては、三浦元社長という人物はどのような印象を与えるんやろう。
 高校の生徒に「漫画トリオ」という3人組の漫才師を説明するのに困ることがある。横山ノックはまだ記憶があるかも知れんけれど、上岡龍太郎はかなり印象が弱くなり、青芝フックとなると(まだ現役やのに)まるでわからんみたいです。上岡局長時代の「探偵! ナイトスクープ」を見たことがない世代がいずれ入学してくるのですね。
 三浦元社長も上岡元局長もかつてはテレビで見ない日がないくらいの人やったのに、テレビに出なくなったとなると去る人日々に疎しで若い世代にはまるで存在しなかった人みたいになってしまうんやね。
 それにしても「疑惑の銃弾」って、なんであんなに話題になったんやろう。同時代に生きてたはずの私でも説明でけんのに、若い世代にはまるでわからんのと違うやろうか。