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北の湖の死 [追悼]

 今日は勤務校の芸術鑑賞会。私は特に何の係にもあたってなんだので、「オオサカ・シオン・ウィンド・オーケストラ(元大阪市音楽団)」の元気な演奏を楽しむ。前任校では鑑賞会の担当としていろいろと苦労してきたので、純粋に鑑賞会を楽しめたのは久しぶり。午後からは時間休をとり、自宅に直帰。午睡してから相撲を見る。白鵬が日馬富士に敗れて両横綱が1敗で並ぶ。
 夜、ニュースサイトで北の湖敏満日本相撲協会理事長の訃報に接する。享年62。死因は直腸癌による多機能不全。
 毎日、新聞には理事長のコメントが出ていただけに、急死に驚く。ただ、本場所の協会ごあいさつは今場所も元横綱北勝海の八角親方が代行してはったんで、具合は悪いんやろうというのはわかってはいたけれど。
 私が相撲ファンになった頃、史上最年少で横綱に昇進。「憎らしいほど強い」と言われた。もっとも、横綱昇進当初はポカのような負けも多く、また優勝決定戦では勝てへんというここぞというところでの勝負弱さもあった。貴ノ花の初優勝、2度目の優勝は、いずれも北の湖との優勝決定戦やった。魁傑の初優勝、千代の富士の初優勝も同様。立ち合いに変化することもあった。そやけど、勝つ時はほんまに力強かった。立ち合い、腰を振るように立ち、勝ちあげで相手を起こし、左四つ右上手を引くと一気に相手を持っていく。右からの上手投げも強かった。
 横綱輪島とは何度も名勝負を繰り広げた。大横綱の風格があった。威風堂々、そんな感じがした。これはのちに「大横綱」と呼ばれた千代の富士、貴乃花、朝青龍、そして現在の白鵬にもない雰囲気やった。それだけの横綱やのに、「土俵の主役」は常に貴ノ花や千代の富士に譲るという損な役回りになった。晩年は休場を重ね、出場すると声援を大きく受けるようになった。「同情の声援はいらない」と当時言うてはったと記憶する。
 引退後は理事長にもなったけれど、不祥事で辞任したり、歴代の理事長の中ではあまりええ印象はないけれど、公益財団法人化に向けてはかなり苦労したというから、私らのような見てるだけのファンにはわからん苦労が多かったんやろう。
 まるで相撲人形のような体型で、こういういかにも「お相撲さん」というタイプの大横綱は、北の湖親方以外にはいてなんだんやないかなあ。
 貴ノ花がいて、輪島がいて、北の湖がいて、高見山がいて、さらに個性豊かな力士たちが土俵を沸かせてくれた。そやから私は相撲ファンになったんやろう。ええ時代やった。横綱北の湖は主役であり、敵役でもある。それを自分の役割と心得、横綱らしさを全うしようとした。そやから、あの時代の相撲は面白かった。
 謹んで哀悼の意を表します。

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