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不死身の特攻兵 [読書全般]

 今日は午後から人権教育交流会に出席。会場はあの北野高校。手塚治虫先生の母校である、伝統校であります。交流会は同窓会の会館で行われたんやけれど、なんですねえ、金かかった建物ですねえ。これくらいの伝統校ともなるとOBもビッグネームが多く寄付とかで資金が集まるのやろうな。校舎には入ってへんから、お山の学校との比較はでけへんけれど、設備もきっとええんやろうねえ。ゼロサム先生もここに通うていたんか。いろいろと思うところあり。
 交流会では中学校や小学校、支援学校の先生と話をすることができていろいろと勉強になった。やはり引きこもって仕事をしていてはいかんですよ。
 鴻上尚史「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」(講談社現代新書)読了。特攻本まとめ読みも3冊目。本書では陸軍特攻隊の一番手として出撃し、9回出撃して9回生還したという佐々木友次さんを中心に、現場の練達の飛行士たちが特攻についてどう考えていたかを明らかにしている。佐々木さんは最初の出撃では爆弾を落として帰還している。その方が飛行士の技術と貴重な戦闘機を無駄になくさずにすむからなんやけれど、上官はヒステリックに死んでこいと何度も出撃を命じる。エンジントラブルで飛行そのものができなくなったり、途中で不時着したりを繰り返し、佐々木さんは生き残る。故郷では2度、戦死したと連絡が行き、その度に葬式を出している。新聞は「軍神」とほめたたえる記事をでかでかと載せる。終戦直前になると、上官は自ら佐々木さんを殺そうとしていたというから恐ろしい。「軍神」として天皇に奏上したのに、生き残られると困るのである。「戦死」したはずなのに、実は上官に成敗されてたなんて、あんまりな死に方やないか。
 著者は幸運にも生前の佐々木さんにインタビューすることができ、貴重な証言を残してくれた。なぜ生きのびたかという著者の質問に「寿命があったから」と答える佐々木さん。同じ条件で死んだ戦友たちが数多くいる中で、自分は何度も出撃したというのに死ぬことができなんだ。何か人知を超えた力が自分を生かしたと思うても不思議やない。人にはそれぞれ「寿命」が決まっていて、戦友たちのそれは20年ちょっと、そして自分のそれは80年を超えるものやった、と。何度も死線をくぐりぬけて生き残ってしもうた人にしかわからん境地があるんやろうなあ。
 多くの資料をもとに「特攻の真実」を残そうとする著者の熱い思いがひしひしと伝わる一冊でした。

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